哭くのは……

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルト(今日からまた妻の作ったもの)をかけたリンゴ、キャベツ・大根・カニカマ・アオサのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・大根・キャベツ・油揚げ・豆腐)、バタートースト、アールグレイ。

小林秀雄著『本居宣長』より抜粋――

 

「恋せずば 人は心も なからまし 物のあはれも これよりぞ知る」という俊成の有名な歌につき、或る人が宣長に、この「あはれ」と言うのは、いかなる義かと訊ねた。質問者は、語をつづけ、「物ノアハレヲ知ルガ、即チ人ノ心ノアル也、物ノアハレヲ知ラヌガ、即チ人ノ心ノナキナレバ、人ノ情ケノアルナシハ、只物ノアハレヲ知ルト知ラヌニテ侍レバ、此ノアハレハ、ツネニタダ、アハレトバカリ心得ヰルママニテハ、センナクヤ侍ン」と言った。宣長曰く、「予、心ニハ解リタルヤウニ覚ユレド、フト答フベキ言ナシ、ヤヤ思ヒメグラセバ、イヨイヨアハレト云言ニハ、意味フカキヤウニ思ワレ、一言二言ニテ、タヤスク対ヘラルベクモナケレバ、重ネテ申スベシト答ヘヌ、サテ其人ノイニケルアトニテ、ヨクヨク思イメグラスニ従ヒテ、イヨイヨアハレノ言ハ、タヤスク思フベキ事ニアラズ、古キ書又ハ古歌ナドニツカヘルヤウヲ、オロオロ思ヒ見ルニ、大方其ノ義多クシテ、一カタ二カタニツカフノミニアラズ、サテ、彼レ此レ古キ書ドモヲ考ヘ見テ、ナヲフカク按ズレバ、大方花道ハ、アハレノ一言ヨリ外ニ、余儀ナシ、神代ヨリ今ニ至リ、末世無窮ニ及ブマデ、ヨミ出ル所ノ和歌ミナ、アハレノ一言ニ帰ス、サレバ此道ノ極意ヲタズヌルニ、又アハレノ一言ヨリ外ナシ、伊勢源氏ソノ外アラユル物語マデモ、又ソノ本意ヲタヅヌレバ、アハレノ一言ニテ、コレヲ蔽フベシ、孔子ノ、詩三百一言以蔽之曰ク思無邪トノ玉ヘルモ、今ココニ思ヒアハスレバ、似タル事也」

 

昼餉は、きな粉砂糖をまぶした餅、焙じ茶。

花道も歌道も物のあわれに行きつく。ほかに言葉はいらない。

その極意とはどんなものでしょうと問われても、あわれに尽きるのだという、その言葉の向こうに広がる無辺に、思いをいたす心を見つめなければ、あわれは迫り来ない。この回文のような問答は、寄る辺なき身のありようを語っているにひとしい。

あわれを宿して、僕らは生きている。それを知っている、と思っているわけではない。ただあわれだと感ずる。

あわれは、会得するものではない。僕らのうちに芽生えて、日々のうちにたくましく育っていく。

夕餉は、鶏肉団子・白菜・シメジ・糸こんにゃく・ネギのキムチ鍋、締めにうどん、梅チューハイ、赤ワイン。食後に焙じ茶と落花生。

包丁を研いでいると、哀しくなる。下手をすると落涙する。

きっと、刻まれている白菜がそそと哭くからだろう。みずみずしい野菜は、みんなそうなんだ。