塩を揉み込まないで

 

 

 

 

 

 

 

曇り、一時雨。10度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・ツナ・ひよこ豆のサラダ、味噌汁(大根・玉葱・人参・キャベツ・ワカメ・油揚げ・豆腐)、リンゴジャムを塗ったトースト、ルイボスティー。食後にコーヒー、花林糖。

遅ればせながら、NHKの新しい大河ドラマを観た。家康を主人公に据えた大河ドラマは何回目なのだろう。このたびの主人公はこれまでとは違う。家臣をおいて一人逃げるような男として描かれている。

家臣が彼を一人前に育てるのか、はたまた彼が生まれ変わっていくのか。CGの馬はなんだか情けないが、背景の暗いCGは戦国の世のおどろおどろしさを描けている。

桶狭間で義元を失った家康は「どうする?」と家臣から詰め寄られ、自らの声に震える。毎回、襲いくるどうする?に立ち向かうというのがドラマの通底らしい。今の世を生きる人々のどうする?が重なる。それを重層的というのはナイーブに過ぎるけれど。

ということで、僕は好意的な姿勢をとることに。妻がかたわらで薄笑みを浮かべている。

テレビ番組のクォリティは落ちる一方だが、とくに報道と教養番組がひどい。わざわざレベルを落とした解説をする。解説は解説である。相手のレベルを想定するなど愚の骨頂だ。

絵画の解説はもっとひどい。絵の解説は、作者の意図を解説することではない。そもそも画家は絵のことを言葉で補強などしない。もし補強しているなら、彼の言葉が生まれた時代とか画家の背景を考察するだけでよろしい。

解説とは、稚拙な洞察のことではない。鑑賞の邪魔をしたり、得手勝手な言葉で作品を汚さないでほしい。

物事に意味を求めようとしたり、他人の夢だとか希望を訊ねたり、大切にしている言葉を色紙に書かせたり、その演出の息苦しいことこのうえない。

まともな大人がいないことの証左かと思う。

メディアに従事する大人がいなくなったのは、メディアがなくなりつつあるからだろう。

社会が弱っているこういうときに、為政者は暴走する。それが怖い。

夕餉は、白菜・人参・焼き豆腐・鳥肉団子のアゴアシ味鍋、残った汁で玄米のオジヤ、赤ワイン。