いちおう、あやまる言葉も

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、お節、卵でとじた味噌汁(大根・人参・玉葱・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハムと卵のトーストサンドイッチ、オレンジティー。食後に生菓子、生チョコレート、コーヒー。

食べ合わせが悪かったのか、トイレへ駆け込んでいるうちに日がかたむく。去年までの身体に溜まっていたモロモロを強制的に排除したようで、肛門はそれによってヒリヒリしているのだが感じは悪くない。

元来の食い意地張りなので、出せば詰め込みたくなる。で、またトイレへ駆け込む。やれやれ、とトイレで声が出る。

大根の皮を漬けたのをポリポリ食っているうちになぜだか止まった。

箱根駅伝からずっとテレビを見続ける。

ちょっとずつ料理を作り続けて、ちょっとずつ食べる。書き連ねるのも面倒だ。

去年の暮れから、ちょっとずつ細野晴臣を聴いている。作り込んでいるのか、あっさり収めているのか、もうあれこれ考えないようにしているのか、なにかが起きるまで作ることに決めているのか。作るということと息をすることのあいだに膨大な暮らしが存在するのに、それをピョンと飛び超えている。

意図しようとしまいと、とりあえず作る。とりあえずなんていう言い方は失礼なのだが、とりあえず作らにゃならんでしょう、という声が聞こえる。作らにゃならんでしょう、という言い方がどこか腑に落ちる。

とりあえず聴かにゃならんでしょう、という呼応するような言い方はふさわしくない。でも、ほかにピッタリくる言葉が思いつかないから仕方ない。細野さんには、そういう言い方をしても許してくれそうな気がするので、こうやって書いている。ごめんなさい、とも書いておく。なぜだか……。

夕餉は、御節、味噌汁(ほうれん草・大根・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ほうじ茶。