将棋は終わっているのか

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。15度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、目玉焼きとウィンナーソーセージ、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・白菜・油揚げ・豆腐)、ハム・ピーマン・チーズのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。どちらも面白い対局。山下敬吾9段は黄翊祖9段の大石を終盤に召し取って中押し勝ちを飾った。将棋は山崎隆之8段が飛車の扱いを持て余して、佐々木大地7段が勝った。

毎度のことだが、囲碁は解説者がAIの指し手予想の意味を探ろうとする姿勢が明確にある。技術的な探究心はプロとして当たり前だし、その予想が自分より棋力が上ならなおさらのことだ。それが勝負の世界の合理性というものだろう。

一方の将棋は「あり得ない」というような吐き捨て方を解説者がする。十数手も指さないうちに、AI予想の真意がわかるというのに。解説の髙見泰地7段もそうだった。プロ棋士ならそんな手は指さないという言い方をする。そのプロ棋士がAIに歯が立たない現実をどう捉えているのだろう。AI予想を吟味するのに相応の時間を割けとまでは言わないけれど、はなから否定しておいてつまらぬ解説を繰り広げるのはみっともない。

なにより相手がヒトだろうがAIだろうが、強さの探究にとっては二の次ではないか。

囲碁の解説者はおしなべてそういう探究の姿勢を崩さない。僕には、それがプロ棋士としてとても好ましく見える。

昼餉は、ウィンナーソーセージを齧る。

ちょっと酷い言い方をするけれど、将棋の世界は終わっているように映る。ゲームとしての面白さではなく、それを支えるプロ棋士の心象において終焉している。

AIが捉えどころのない予想をしたら、その真意を解明せずにはいられない。それこそ、真の愉しみというものだろう。理解を超えた予想に対して、ヒトならそんな手は打たないという解説が成り立つ、プロ棋士の世界はそれほど閉じているのかと思う。

夕餉は、大根の皮と人参・油揚げのきんぴら、朝の味噌汁の残り、ウィンナーソーセージのカレー、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー。クッキー。