メシアンのミサ曲

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。30度。

6時に起きる。

冷たいほうじ茶、コーヒー。

妻はバイクを漕いで健康福祉センターへ。健康診断と婦人科検診。雨の合間を縫って午後に戻る。

一人の昼餉は、バナナ、シリアル、リンゴジャムを塗った全粒粉パン、ミルク、アイスコーヒー。

数日前のことだが、NHKの8年前のドキュメンタリー『我がこころの旅』、作曲家・加古隆さんの回を再放送で観た。この番組は若かりし日々を追う甘酸っぱい内容なのだが、加古隆さんはパリのコンセルバトワール留学時代の日々を辿った。留学中にフリージャズのピアニストとしてデビューすることになった彼は、師事していた現代音楽の巨匠・メシアンの授業を欠席しがちになる。

僕の記憶にずっと刻まれていたのは、そのメシアンが作曲したミサ曲だった。メシアンは毎週欠かさず、教会でオルガンを演奏していたのだ。時には即興でミサ曲を奏でることもあったという。

加古さんは、メシアンが死の直前まで通っていた教会で、今のオルガン奏者に会う。その前後の詳しい様子はすっかり忘れていたけれど、オルガン奏者が加古さんのためにミサで奏でたメシアンの曲は、とても鮮烈で色彩的で8年前の僕はすっかりまいってしまったのだ。

爾来、折に触れて探したのだが、アルバムは見つからなかった。ほんの数秒しか映っていないのに、ミサ曲は湧き上がるように迫ってくる。

同時に、加古さんの顔が輝いていく瞬間を、レンズは追っていた。

あのミサ曲は、メシアンが即興のようにして作ったのを彼が採譜して教会に遺しておいたものではなかろうか。CDを探しても見つからなかったわけは、そんな背景にありそうだ。

なんとか卒業が叶った加古さんは、良き生徒とは言えなかったことをメシアンに謝るのだ。ところがメシアンは、即興の重要性を説いて、加古さんを力づけたという。それが、のちの加古さんをどれほど支えたか、想像に難くない。

メシアンのミサ曲は、加古さんを祝福するかのように教会に鳴り響いていた。

新たな決意を得たことを、旅の終わりに加古さんはさらりと話す。それを詳らかにするのは、日本に帰って実際に行動に移すことで明らかになるでしょうと。

加古さんは、メシアンという作曲家の湧き上がるような躍動とか色彩に包まれた。ガツンとやられたのだ。そちらの出会いこそ、実は旅の本質なのだった。

僕の記憶に残っていたのはもちろんミサ曲だったのだが、より深く刻まれていたのは、今を生きる作曲家が教会で受けた啓示の瞬間を見た、ということだったのではあるまいか。

夕餉は、トマト・パプリカ・レタスのサラダ、冷奴、麻婆茄子、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ・小松菜)、ご飯、冷たいほうじ茶、ウイスキーオンザロック。食後にとうもろこし。

今月の総括をば。アクティビティは2日、総距離は11.56キロメートル。スクワット80回はほぼ毎日。

 

 

 

 

 

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