顔と声

 

 

 

 

 

 

曇り、のち小雨。21度。

6時に起きる。

冷たいほうじ茶、アイスコーヒー。

気温が朝から夜まで変わらない。流れ込んでいる冷たい空気は、モンゴル平原を吹き渡る風の匂いがする。

東欧から来ているパラリンピック選手たちの顔に見入る。

シッティングバレーボール男子のボスニア・ヘルツェゴビナとか、卓球女子のポーランドとか。彼らや彼女たちは、滅多なことでは声をあげないし、笑わない。

ボスニア・ヘルツェゴビナの男たちは、どこか疲れている。うんざりしているようにも見える。この世は一筋縄じゃいかない。なのに、なぜ天真爛漫な笑顔や声をあげているんだろう?

この国の選手たちを黙って見ている。そして、チームのおなじような顔の男たちに目を配る。わずかに口を動かす——いいんだ、いいんだ、このままで——そう言っているように見える。

1点ごとに声を張り上げながら笑顔を絶やさない男たちを相手に、寡黙な男たちは完勝する。どちらが負けたのか、これではわからない。

ポーランドの女たちも、同じだ。目の前で笑っているこの国の女たちを静かに見ている。

そして静かに勝つ。

最後まで声を張らない。互いの健闘を称え合うタッチの瞬間に少し表情を崩して見せる——あなたたちは頑張ったね——と、そんなふうにいたわっている。

この2つの国の来し方を思う。一筋縄ではいかなかった荒波の歴史やら、それでも生き抜いてきた彼ら彼女らの奥底に生きているものを思う。

感動だの絆だのといった浮ついた言葉で糊塗しない。ありのままをさらす。そのままでのぞむ。昔、この国の女や男も、そんな顔をしていた気がする。

昼餉は、バナナ、チーズ・トマト・オリーブオイルを挟んだ米粉のロールパン、とうもろこし、コーヒー。

笑顔を作って、声で鼓舞して、それを互いにやり合って、でも状況は刻々と悪くなっていく。最後まで、その声と笑顔を作り続けて、舞台の裏で悔し涙にくれるというのか。

なぜ、本来の姿をさらせないのか。いつから、そんなことになったのか。

ほんらいの顔は、声は、ひとりぽっちになってから取り戻すのか。そして、それでも頑張ったのだから、と己を慰めるのか。

いつから、そんな遠回りをしなければいけない国になってしまったのか。

いつから、そんな虚構の舞台を作ってまで生きなければいけないことになってしまったのか。

夕餉は、冷奴、納豆、ポテトサラダ、鳥ササミのレモンバジルソテー、味噌汁(ナス・豆腐・油揚げ・ネギ)、ご飯、チューハイ、冷たいほうじ茶。

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