狂おしいまでの歩み寄り

 

晴れ。23度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・コーン・トマト・カニカマのサラダ、蓮根の天ぷら餡掛け、コロッケ、はちみつ塩トースト、ルイボスティー。

AK–47という自動小銃は、もっとも公差が大きい銃と言われている。許容範囲が広いから、劣悪な環境でも製造できるし、過酷な条件でも使用できる。分解・修繕も容易で、故障率が低い。世界中で今も使われ続けている、もっとも信頼を勝ち得た火器だ。

自動小銃は精密機械なので、公差は小さいと思いがちだし、げんに小さいのが好まれがちだ。それは銃に限ったことではない。腕時計のキャリパーは最たるものだと思う。

ゼニスのエル・プリメロといえば、ハイ・ビートの代名詞として一世を風靡したものだ。日差が数秒の精密性を担保する、たとえば潤滑油とかテンプの精度を考えると、公差はとても小さいことがわかる。

一方、セイコーの6R15というキャリパーは、時計界のAK–47に当たる。機械式の腕時計にあって、このキャリパーの製造と価格とメンテナンス性のバランスは見事というほかない。こういう機械を手元に置いておくと、製造と使用の狂おしいまでの歩み寄りについて思わずにいられない。

ホンダのカブ、ニコンのF3とマニュアルレンズ群、トヨタのランドクルーザー――そこに流れているチューンは、狂おしいまでの歩み寄りである。

遅い昼餉は、メンチカツ、菓子パン、コーヒー。

11キロをジョグ。ジョガーは数人。散歩の夫婦が行き交う。

製造と使用の狂おしいまでの歩み寄りこそ、この国が培ってきたものだ。ドイツのような精密感は望むべくもない。その精密感は、使用へと歩み寄ることを拒んでいる。拒絶あっての、精密感と言っていい。

どこか緩い。この国の日常を彩る精密性はみんなそうだ。僕はそれを、製造と使用の狂おしいまでの歩み寄り、と呼ぶ。

狂おしさがなければ、その緩さは獲得できなかったと思う。もう一段高い精密性だってお手の物だったが、それでは庶民の日常は彩れない。狂おしいまでの歩み寄りは、製造と使用の両者の往還から醸成されていったものだ。

コロナ禍をきっちり防護しようという空気が、社会を覆っている。だが、きっちりは息苦しいものだ。この国が培ってきた、どこか緩いという、狂おしいまでの歩み寄りが、長い目で見た時に、市民を救うと僕は信じている。行き着くところにどんな景色が待っているにせよ、息がつけるようにすることを織り込んでおく。この国らしさは、僕らが作っていかなければならない。

識者の話は、みな同じに聞こえる。

世界を見ているし、世界から見られていることを意識している。それしか、考えていないように聞こえる。

この国の根っこにある、良き物事を見据えた発言は、今、絶滅寸前だと思う。

夕餉は、トマト・キャベツ・大根のサラダ、チーズイン・ハンバーグ、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯。食後に抹茶、クッキー。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新してβ3をリリースした。細かい変更と、脆弱性への対応。

4月のまとめをば。アクティビティは8日。総距離は68.5キロ。スクワットとプランクはほぼ毎日。

 

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