晴れ。25度。
7時に起きる。
朝餉は、ソーセージと野菜のポトフ、リンゴジャムとクレイジーソルトのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、クッキー。
風薫る。
市民から商店街へ、企業へ、自治体へ、やがて金融機関へ――不活性の流れは、逆へ向いている。
経験したことのない流れ。どこからか降ってくるのではなく、個々のヒトから湧き上がっていく流れ。
ヒトであることへの攻撃は、コミュニティや組織といったシステムの存在まで感知していないと誰もが考えているが、果たしてそうだろうか。
ウイルスが「考えている」のは、実は複雑に絡み合っているシステムへの侵入かもしれない。
ウイルスに知能はない。だが、たとえばすべての擬態は、結果を見ればわかる。それは、叡智のあらわれなのだ。
カッコーがホオジロの卵に似せて托卵する、という文章は文意として有り得ないが、現象としては成立している。
ウイルスの足跡を、結果から追っていくと、鮮やかに浮かび上がってくるのは、叡智とでも呼びたくなるような戦術の連なりだ。
昼餉は、ポトフのスープスパゲッティ、コーヒー。
結果として、もっとも脆弱だったところをピンポイントで襲っている。繋がりを断ち、孤立化させ、無力化させ、持久戦へと持ち込む。
いつか現れてくるワクチンまでの活動でいい、と割り切っている。
そこまでのあいだに、傷は深いところに侵食している。
この時点で、僕らのシステムが負った傷は、すでに国債を発行しても償還に何十年とかかる規模へ膨らんでいる。これから、もっと膨らむ。
それは、国債というシステムへの攻撃にもなっている。
引き受け手が日銀しかないような規模へ膨らんで、すでに自分で自分の尻尾に喰らいついている。個人から、集団への補償がこれから始まる。最後には、金融機関が深傷を負う。それは僕らが見慣れた景色だが、今度のは、そこからまた個々へと逆流しようとしている。
結果を辿っていくと、ウイルスは、そういう所業へ僕らを誘っていることに気づく。
夕餉は、ポテトサラダ、サバの味噌煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、ご飯、ビール。