愛着とその標榜

 

晴れのち雨。31度。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ、ミルク、麦茶。食後にアイスコーヒー。

長浜の美容院へ。

昼餉は、抜き。

5キロをジョグ。

本を求める。ジョン・ル・カレ著、加賀山卓朗訳『地下道の鳩:ジョン・ル・カレ回想録(原題:The Pigeon Tunnel)』(早川書房)、ルイス・キャロル著、高橋宏訳『不思議の国のアリス・オリジナル』(書籍情報社)。

後者については多くの誤解があるように思う。それにもかかわらず、ちょっと凝った装丁の本がこの世に在ることを許されているのは、ひょっとしたらキャロルの生前の善行のおかげかもしれない。

本好きであることを僕は臆面もなく標榜するが、そこには2つの意味があって、常にどちらか(乃至は両方)を問われていると思う。

1つ目は、もっとも賢明にして崇高な文明的所産である文字、それを読むことそれ自身への愛着とその標榜。

2つ目は、本という形態とそれが作られる一連の工程、その結果生まれた製造物への愛着とその標榜。

本好きとは、必ずしも両方を満たしているわけではない。というよりも、満たしているのは実は稀有であり、多くの場合は1つ目をもって標榜とみなされている。ただ、2つ目に依拠する人種はこの世に多数が存在しており、実はその嗜好によって本という存在の魅力は十全となる。事物の趨勢は、多くの場合、2つ目の標榜によって価値を体系とするもので、1つ目へ向けた秩序の構築という命題を負っている。

電子書籍の興隆は、1つ目の標榜に疑う余地のないことを証明しているし、2つ目を支える産業的背景にもなっている。もっとも、産業的背景という点において、2つ目も人後に落ちるわけではなく、視点によっては、1つ目を凌駕しているかとも思う。

僕の標榜は、もちろん両方に渡っているけれど、2つ目の標榜については付随する行為としての蒐集にまでは至っていない。

要するに、酔狂にかける金がないのだ。

夕餉は、焼き茄子、大葉とチーズの餃子皮の包み焼き、ラタトゥイユの残り、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、豆腐、小松菜、エノキ)、ご飯、麦茶。食後にアイス最中。

Appleは、OS群のパブリックベータ ・プログラムを更新してβ7をリリースした。

 

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