観察者の目

 

晴れのち雨。30度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、コーン、キュウリ、トマトのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、カボチャ、豆腐、小松菜)、さつま揚げと目玉焼き、トースト、紅茶、ミルク。食後にコーヒー、クッキー。

昼餉は、マドレーヌ、ミルクをかけたシリアル、コーヒー。

本が届く。江國香織、岩瀬成子、角田光代、町田康、谷川俊太郎ほか著『100万分の1回のねこ』(講談社)。100万回生きた猫、その1回分の生き様を作家が描く。書くにあったての縛りになっているお題というか企画を考えたであろう編集者はなかなかの剛腕である。作家をそこへぴょこんと飛び乗らせた佐野洋子という存在をあらためて思う。

佐野さんと離婚されてからの谷川さんのエッセーやほかの文章を読んでいると、背筋にすーっとなにかが過ぎていく。寂寞というにはあまりに仄かで、振り返って確かめたいのだが、そうしてしまっては逃げてしまいそうなひと刷毛ぶんの重量。

ああ、これはいかんぞ、と思う。

詩人は、言葉を失っている。それは、死んだ女への。

洋子さんは、あんたはつまらない男ね、というようなことを谷川さんに遺した。

つまらない、男。

男にとって、この言葉はいかなるものだろう。つまらない詩人ね、とは言わなかった。

谷川俊太郎という詩人は、ひとりで生きることの意味を一冊にまとめているが、それは飄々として、浮世離れしても見える。実務家としての谷川俊太郎がちょこちょこ顔を出すと、読み手はなんだか安心してしまい、この人の本来はそうなんだろうな、と想像する。

詩人は、生き方まで詩人である必要はないのだ。

洋子さんは、生き方についてなにかを言いたかったわけではなかろうと思う。ただ、実務家という肌合いが、合わなかったのではあるまいか。

女は、つねに実務家としての男を観察している。どのような実務家なのか。それが、男女の幸不幸につながっている。

夕餉は、納豆、女房が作った豚ひき肉と茄子の中華炒め、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、豆腐、エノキ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、バターサンド。

 

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