花開けば風雨多く

 

 

 

 

雨、のち晴れ。18度。昼まで強い雨。
8時に起きる。
朝餉は、サラダ(サニーレタス・キャベツ・大根・大豆煮・チーズ・カニカマ)、味噌汁(むかご・菜の花・油揚げ・豆腐・サツマイモ・玉葱・人参)、卵焼きのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
シェアカーを借りて、妻をお茶会の家まで送る。途中で、友人も乗せて。強い雨がすこし落ち着く。クリーニング屋とスーパーに寄る。スプリングコートの汚れはそれほど目立たないくらいに。高価なオリーブオイルを奮発。オリーブオイルとバルサミコ酢が我が家のドレッシングの主役。
昼餉は、ピスタチオのスプレッドを塗った食パン、コーヒー。
ふたたびシェアカーで妻と友人を迎えに。雨のあがった薄桃色の道、花に嵐のたとえあり。
井伏鱒二は、花発多風雨(花開けば風雨多く)を花に嵐のたとえもあるぞと読んだ。続く人生足別離(人生別離おおし)を「さよなら」だけが人生だとして、それが去り行く日本人の背に桜吹雪を舞わせる風景となった。
さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう、と読んだ寺山修司はよほど血気の時だったのだろうか。最後の段落は、さよならだけが人生ならば人生なんかいりません、と青森人は言い放っている。若さの気概ともとれる。温厚を絵に描いたような井伏鱒二をしてさよならだけが人生と言わせた。その対比が、花に嵐の情景を鮮やかにしている。寺山修司はそこを見る猶予を持っていない。ひねくれているぼくは、若いときから井伏鱒二がしっくりきたものだけれど。
古書が届く。ジョー・ラ・バーベラとチャールズ・レヴィン著、荒井理子訳『ビル・エヴァンス・トリオ 最後の二年間(原題:Times Remembered)』(草思社)。謹呈と書かれた真新しい栞がはさまっている。読まれた形跡がない。作家とか翻訳者、またはどこかの版元か編集部に贈られたものらしい。
夕餉は、味噌汁(菜の花・むかご・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、ささみ肉と玉葱・菜の花のドリア、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、どら焼き。
花がついていなかったのに、冷蔵庫の暗がりで眠るうち菜の花は開花しはじめた。旬がみなぎっている、不味いわけがない。