表裏の関係

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨、降ったり止んだり。20度。

最低と最高の気温差が3度。秋めく。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、マカロニサラダ、コンソメスープ(キャベツ・玉葱・人参・バジル)、レタスとハムのトーストサンドイッチ、麦茶。食後にコーヒー。

妻はクワイアの稽古へ。夜遅くに戻る。

ああ、そうだったと肌が思い出している。肌寒いこの感じ。ベランダを開け放っていると、ひんやりした空気が流れ込んでくる。雨のあがった歩道は、サンダルでは寒いくらいだ。

そうそう、この感触を忘れていた、と何度も思い返しながら歩く。

昼餉は、味噌ラーメン、コーヒー。

LINNのK20でマイルズ・デイビスの『Bye Bye Blackbird』を聴く。僕にとって、このチューンがオーディオを開く扉のひとつになっている。ソロを取るマイルズ・デイビスやジョン・コルトレーンとともに、レッド・ガーランドのピアノに耳を傾ける。いつも思うのだが、大昔にTrioのステレオ装置でレコード盤を聴いていた時の音がいちばん良かった。モノラルのなんの変哲もない音盤からは、ピアノがスピーカーの前にちゃんと居座っているのがわかった。

デジタル音源はLINNといえども、スピーカーの奥のほうに音楽が聴こえる。なんだか壁に貼りついている。平べったいのだ。デジタルはみんな同じなのだが、この曲を聴くとさらにそう思う。

要するに、K20はそれを浮き彫りにしたようだ。僕の耳もずいぶん飼い慣らされてきたけれど、昔の音がまだ耳に残っているらしい。K20でポール・チェンバースのベースが、ちょっとだけ前に出てきたことをありがたがっているのは幸いなことなんだろうか。

夕餉は、焼きそば、ウィスキー・オンザロック。

Appleは、OS群の開発者ベータプログラムを更新した。macOS 14.1やiOS 17.1などがβ2に。

詰まるところ、便利になって、そのぶんだけ我慢することが増えた。便利と我慢が表裏をなしている。どんな音楽でもすぐ呼び出して聴くことができる。知らなかった録音がすぐ見つかるし、どこを探しても見つからなかった録音が労せずして聴ける。それが便利ということである。我慢は、それが音楽なのかどうかはまた別の話しということ。

我慢してでも便利を選ぶ。聴けないよりも、マシだと思っている。躍動とかうねりといった音楽の本質的な部分を切り取った録音にデジタルはヴェールを覆い被せる。耳はそれを音楽と解しているようで、実はそうではないらしい。音楽の片鱗は片鱗でしかない。100年近い昔に録音された音ならなおさらである。レコード盤に針を置いて、真空管アンプで再生すれば、それはノイズまみれであろうとも、まともな音楽として鳴る。