こざっぱりしたなり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち雨。17度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ・リンゴ、サニーレタス・キャベツ・大根・バジル・カニカマのサラダ、味噌汁(小松菜・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、バターをのせたトースト、アールグレイ。食後にコーヒー、ロールケーキ。

沢村貞子著『私の浅草』より――色衿

 

 女の人の襦袢の衿が、普段でもよそゆきでも、白一色になったのは、ここ十年か十五年ぐらいのことだと思う。

 私がテレビや舞台に出演するとき、あらかじめ、その役柄に、ふさわしい衣装をきめたあとも、よくよく念を押しておかないと、下町のおでんやのおかみさんまでが、眼をむいたような真っ白な半衿をする羽目になって……慌てることが多い。

 昔の下町の女が白衿をつかうのは、ごく改まったときに限られていた。

 「いずれ、白衿でお伺いいたします」

 ということは、

 「いずれ、きちんとご挨拶にお伺いいたします」

 という意味だった。結婚式によばれても

 「裾模様を着るのは、花嫁さんに遠慮しろ」

 と言われたし、身内の人のお葬式でも、

 「喪服を着る身分じゃなし……」

 と、わざわざ黒地の小紋を染めたりするような町だったから、そういう言葉が生きていたのかも知れない。

 ふだん着のしたには、紫、茶、浅黄など……。若い娘は赤やとき……色とりどりの無地と決まっていた。粋筋の人は、しぼりを使うこともあり、よそゆきの二枚がさねの衿もとには、着物にあわせて、梅や桜、柳や牡丹など、金糸銀糸、色とりどりの縫いとりの衿をあしらっていた。

 今でも、浅草の私の友だちには、色無地をかけている人が多い。私も始終、濃紫や銀ねずの衿をしたりして、若い人に珍しがられている。白衿ではなんとなく落ちつかないし、第一、気が張る。習慣とはおかしなもの、と、自分でも思っている。

 ひとつには、かけ捨てにするほどの余裕もないのに、どうも、白衿のうす汚れが気にかかるせいもある。格子の桟を瘦せるほど磨かなければ気のすまない疳性な下町女にとっては、少々のしみは目立たない色衿の方が、いっそ気楽、ということもある。

 ほんのすこしは――顔の小皺をかくしてくれる効き目もある。私は、何度か使った式服、喪服の白衿を、色衿に染め直しているから、倹約の上でも、なかなかいいと思っている。上品さをなにより、とする向きにはおすすめしかねるけれど、使いようによっては、なかなか〈粋〉な味も出る。

 真夏、指の先から汗がしたたるような蒸し暑い日――宮戸座の桟敷に座って、ゆっくり扇をつかっていた大店のおかみさんらしき人の、いかにも涼しそうな姿が、いまも眼に残っている。

 こぶりの丸髷に白の上布、ねずみの献上の帯。そして、その姿をぐっと引き立てているのは、深い紺地の、麻の半衿だった。

 

こういう文章を読むと、さっぱりして晴れやかになる。心に湯を浴びたような。

昼餉は、ブルーベリーを塗った食パンとマヨネーズにハムを挟んだトーストサンドイッチ、コーヒー。

沢村貞子さんに書くことを促し、背中を押してやったのは花森安治さんだった。沢村さんのエッセーには、かならず自筆の絵を添えた。

暮しの手帖が発掘した書き手のなかでも、沢村さんの筆致は群を抜いている。江戸の残り香を一手に引き受けて、世の中は、人を慮ってこそだと教えてくれる。

沢村さんの着付けの粋をテレビドラマで見た昔のおかみさんたちは、そこに人情のありのままの姿を認めていた。

夕餉は、納豆、冷奴、ウィンナーソーセージとジャガイモの照り焼き、すりおろし大根を添えた焼きニシン、味噌汁(大根・玉葱・人参・キャベツ・小松菜・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン、ウィスキー・オンザロック。食後に歌舞伎揚、クッキー。