売ることは見ること

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。10度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・ひよこ豆・竹輪のサラダ、味噌汁(小松菜・大根・人参・玉葱・油揚げ・豆腐)、卵サンドイッチ、ルイボスティー。

妻は友人の新年茶席へ。隣駅のさらに先の住宅街まで1時間かけて歩く。夕方に戻る。

内田洋子著『モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語』より――

 

 ミラノの老舗出版社ボンピアーニの創設者ヴァレンティーノ・ボンピアーニは機会あるごとに、

「モンテレッジョの行商人から本を買うということは、独立への第一歩を踏み出すということでした」

 と、言っていた。イタリアの独立運動のことだけを指したのではなく、一人前の大人として自我に目覚める、という意味合いも含めていた言ったに違いない。

 青空の下で自由に選んだ一冊をめくってみると、ページの間から渋い匂いが微かに薫流。新刊の甘酸っぱいインクの香りは初々しい。本屋は、露天の端で静かに控えている。客が知りたそうにすると、〈はい、なんでしょう?〉と、目で伺いを立てる。

 本を選ぶのは、旅への切符を手にするようなものだ。行商人は駅員であり、弁当売りであり、赤帽であり、運転士でもある。

 ボンビアーニは、さまざまな行き先への切符を作る人だった。出版人にとって、モンテレッジョの村人たちは頼りにできる仲間だったのだろう。

 同時期にイタリアでは出版社が続々と誕生している。出版人たちはどのように感じていたのだろうか。

 ミラノのリッツォーリ出版社の創設者アンジェロ・リッツォーリは、まず行商人たちにゲラを読んでもらってから本に刷るかどうかを決めていたという。

「売れる本を見抜く力は、驚異的でしたからね。何よりの指標でした」

 毎朝、ミラノの広場に立つ本の露店を自ら訪ねて自社の新刊を数冊ずつ託し、夜に再び立ち寄り売れ行き状況を調べていたのは、モンダドーリ社の創設者アルノルド・モンダドーリだった。

 露店の立つ市場や回廊へ行商人たちを訪ねるだけではなかった。行商を終え皆が帰郷する冬になると、ミラノやトリノ、ボローニャ、フィレンツェからモンテレッジョに時の出版人たちが次々と訪れ、食卓を囲んだりダンスを踊ったりした。村を挙げて歓待し、その場で翌年の商談をまとめたり、イタリア各地の客たちの反応を聞き新刊の企画の参考にしたりしたのである。

 

昼餉は、歌舞伎揚げ、落花生。

 

 本を手に取っただけで、「これはあまり売れないでしょう」「すばらしい本です」「ヒット間違いなし」と、読まずに次々と言い当ててみせる行商人もいた。まるで本の行く末占いで、どうしたら売れるのか、秘訣を請いに出版人たちが引きも切らずに詰めかけた。

「売れる本というのは、ページに触れる時の指先の感触や文字組み、インクの色、表紙の装丁の趣味といった要素が安定しているものです。〈あの出版社の本なら〉と、ひと目でお客に品格をわかってもらうことが肝心ではないでしょうか」

 いの一番に、紙と余白の大切さを挙げた。

 本を見抜く眼力は、学校などで勉強して習得したのではない。親から子へ、子から孫へと本を運び続けて、自然と身に付いた技だった。

「残念ながら、すべての本を仕入れることはできません。本屋は、売る本を選ばなければならない。選んでいると、しみじみ幸福な気持ちになります。そして、選んだからには真剣に売ろう、と背筋が伸びます」

 五十年前の聞き取り調査に行商人の一人が答えている。

 

夕餉は、佃煮、白菜・鳥肉団子・ネギ・糸こんにゃく・人参の豆乳鍋、玄米ご飯、赤ワイン。食後に焙じ茶、きんつば。