文字を揺籃した道具

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツ・大根・カニカマのサラダ、ハムと卵焼き、味噌汁(ネギ・大根・玉葱・人参・ナメコ・油揚げ・豆腐)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

本が届く。川端義明著『宇治拾遺ものがたり』(岩波少年文庫)。言わずとしれた『宇治拾遺集』を国文学の大家が子ども向けに平易に著したものだが、大人だってじゅうぶんに愉しめる。

『宇治拾遺集』の作者は『宇治大納言物語』を著した権大納言源隆国といわれている。あれこれと経緯はあるのだが、宇治大納言物語からもれた説話を拾い集めて作った増補版という位置付けに『宇治拾遺集』はなるといわれている。

もっともらしい説明なので、頭から信じてもいいのだけれど、そういう明快さには誰かが盛った毒が潜んでいることもある。

なんにせよ、鎌倉時代に編まれたといわれる説話集には現代の作家が想像さえできない奇想天外なものが編まれている。幼少にそれらに触れると、母胎に似た揺籃の感覚を植え付けられる。俗にいう国民性のようなものかもしれない。

魑魅魍魎が徘徊していた時代には、それに相応しい物語が息づいていた。それらすべてを絵空事だと決めつけるのは僕ら日本人の性分ではない。少し前にヒットしたアニメーションが大正時代に鬼と戦う物語だったことは、僕らのうちに絵空事を体内に取り込む力が衰えず生きていることを教えてくれる。

僕らは、魑魅魍魎とともに生きている。そのことを片時も忘れていない民族だと言える。

文字の誕生とともに、この世界の最初からの奇想天外を、中国伝来の文字を使いつつも、この国で息づいていた話言葉を当て字を使ってまでして綴った物語は、世界の国々に負けず劣らずの質と量を持っている。

僕らは豊かな物語の国に生まれたことを寿がなければならない。なんども繰り返して、それらの物語を味わい尽さなければと思う。

夕餉は、佃煮、黒豆煮、伊達巻き、筑前煮、味噌汁(ナメコ・大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に焙じ茶、クッキー。

文字が生まれたので、物語はさらに増えていった。新しい道具ができれば、それにふさわしいものが作られる。それによって文字はさらに豊かになり、強さを増していく。物語は文字という道具の推進装置だったのだ。