遷り変わること

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、明日の検査に備えて妻だけ軽めに、バナナのヨーグルトがけ、冷奴、具なしの味噌汁、トースト、ほうじ茶。僕は、味噌汁(ほうれん草・大根の葉・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、リンゴジャムのトースト。食後にコーヒー。僕のほうがよほど軽めだった。

ジョギング、10.04キロメートル。

本を求める。トマージ・ディ・ランペドゥーサ著、小林さとし訳『山猫(原題:Il Gattopardo)』(岩波文庫)。書店では品切れが続いている。岩波の経営は厳しい。だから名作といえど、涙を飲んで放置せざるを得ないらしい。古書は倍以上の値段がついている。

本書は、翻訳にあたって唯一のイタリア語原典だ。河出書房新社のほうが刊行は古いのだが、たしか英語版か仏語版からの翻訳だったと記憶している。ん、ポルトガル語版だったかな?

夕餉は、鶏胸肉と野菜の卵とじ、味噌汁(玉葱・人参・油揚・豆腐・ネギ)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にほうじ茶、かりんとう。

岩波書店の経営を推察するのは、今年7月27日に岩波ホールが54年間の歴史に幕を閉じたこともある。もともとは多目的ホールだった。’74年にインドのサタジット・レイ監督の『大樹のうた』を上映したことが映画ホールとしてのきっかけだった。当時の支配人だった髙野悦子が川喜多かしこから依頼されたことが発端だった。上映する映画館が見つからなかったのだ。頼むほうも頼まれるほうも女性だったことが今でも新鮮に映るのは何故だろう。

埋もれている世界の名作映画を世に出す――いわゆるエキプ・ド・シネマを標榜するにあたり岩波ホールは4つの目標を掲げた。日本では上映されることのない第三世界の名作を紹介する、欧米の映画であっても大手興行会社が取り上げない名作を上映する、映画史上の名作であってもなんらかの理由で日本で上映されなかったものを上映する、日本映画の名作を世に出す手伝いをする――というものだった。48年間に66の国と地域の274作品を上映してきた。このあたりのことは、最後の支配人だった岩波律子さんの最後の挨拶文に詳しい。

岩波ホールを維持することさえ困難になったということかと思う。高く掲げた目標には敬服するしかない。それを維持できなかったこと、それを支え続けられなかった映画ファンの減少も大きいと思う。

今月の総括をば――

アクティビティは、10日。

総距離は、100.85キロメートル。

スクワット20回はほぼ毎日。

ボディブレード5分もほぼ毎日。