Blues Connotation

 

晴れ。26度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナと蜂蜜トースト、ミルク。妻は抜き。コーヒー。

Android OSを前にすると、失語症になる。操作と、その結果の動きが連想できない。オペレーションは、連想させる派生性をコノテーションとして備えているべきなのに。

AをやればBになりますという基礎算術だけで相変わらず人を拘束している。コンピュータの有毒性は、その一点にあると言ってもいい。

自発性を誘引することは、ソフトウェアが備えているべき主要な属性だという了解は、今世紀になって確立しつつあるイシューなのだ。

開発者に向けて環境が開かれたAndroid OSは、一方でユーザーへのガイダンスが欠落している。誘因と拘束の綱引きという運動会から抜け出せていない。

自由を装っているが、実は排他的なのだ。デザインに対する不信を助長するので、表層と深層という異なるロジックがあるのではないかと、ユーザーに疑いを抱かせる。最悪のコノテーションと言える。

そういうことにまったく配慮できない旧弊な自称プログラマーがたくさん残っていて、たとえば、AmazonLINEUIを作っていたりする。

昼餉は、レタス・キャベツ・パプリカ・玉葱・ソーセージのサラダ、ピザトースト、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、麦茶、コーヒー。

ジョギング、8.15キロメートル。鼻呼吸に執着するとピッチが上がらない。

Googleが検索をビジネス化した時から、世界の様相は彼らのエンジンとバックアップシステムに握られている。彼らにその意思はないと表明すればするほど、その深刻さは増すというアンチノミーから抜け出せなくなる。

世界の様相に金を払う——僕らも加担しているという点で、その経済活動の闇は深まる。

夕餉は、冷奴、竹輪の磯辺焼き、鶏胸肉のレモンとバジル風味の唐揚げ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・ネギ・油揚げ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

いっそ、世界を平伏しさせたいと豪語してくれた方がいい。その瞬間に闇は晴れて、物事は単純化へ向かう。

失語症よりマシだと思うのは僕だけかな。

 

 

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