割愛も単純化も

 

曇り、のち晴れ。19度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツ・人参・油揚げの卵とじ、ピザトースト、紅茶。食後にコーヒー。

悪人を悪人として描く。世界の大多数のドラマや映画は、悪人をヒトとして描くのに四苦八苦している。悪人を悪人たらしめているプリンシプルが、割愛され、闇の中に捨て置かれていることのなんと多いことだろう。

「越後屋、そちもワルじゃのう」——これで片付けては、お代官も商人も詰まらない。レッテルが目立つように貼られている。それを見て、悪人だと思えと言われる。

だが、世の中は単純ではない。というより、こんなふうに端折られたりはしない。

まるでその方が痛快だと言わんばかりだ。人の世を思えば、せめてドラマだけでも明快にと言われているような気になる。

昼餉は、ブルーベリーを塗った食パン、ミルク。

ジョギング、11.3キロ。東北東の風。

識者にインタビューするジャーナリストの多くは、まともな質問ができない。中には、俳優くずれやお笑い芸人が「いかがですか?」と話を振っている。それが質問という体裁を整える日は来そうにない。

これも端折られていることのひとつかと思う。端折っているのは、質問者としての己を物語る一語である。

日本に限ったことではない。世界はそういう方向へ突き進んでいる。

夕餉は、大根・人参・竹輪の煮物、キャベツ・人参・油揚げの卵とじ、味噌汁(人参・玉ねぎ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯、紅茶。