タックル

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、大根の皮のきんぴら、ピーマンの肉詰めの残り、味噌汁(大根・人参・ほうれん草・シメジ・油揚げ)、ご飯。食後にバナナ・リンゴ、コーヒー。

札幌の葬儀屋へ、返礼品のリストに変更はない旨伝える。品が会葬者のもとへ届くのは22日あたり。

コロナ禍の第3波が来ている。死亡率とか重症率の数字も取り沙汰されるようになった。医療従事者の負荷が高くなっているという。

一方で、英国や米国でワクチンの投与が始まりつつある。

東アジアの国々が、欧米に比べて感染爆発していないように見えても、そのワケがいっこうに詳らかにならないのは、錯覚かなにかなのだろうか。

過去のSARSなどから遺伝子的に学習しているとか、過去に似たようなウイルス感染をしているとか、手洗いの文化が根付いているといった仮説ならよく目にする。

欧米人ほど他人に触れない、というのもある。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

昼餉は、トースト、ミルク。

抱き合う恋人たちが風景に溶け込んでいる。欧米を旅していると、その違いを肌で感じる。キスしているカップルが普通に見える。日本に帰ってくると、恋人たちは存在していないかのようだ。その距離感は、ヒト同士の付き合い全般に影を落としている。良い悪いではない。ただ違うというだけだが、それがウイルスの伝播にも影響を与えているのかもしれない。

たとえばラグビーのタックルにも感じる。欧米のタックルはどこかゆったりしている。ぶつかり合いに、親愛さえ感じる。

日本のラガーマンは、ダメージを与えようとしている。そう思っているのは間違いないと思う。ぶちかますように当たる。触れることを嫌悪している。そう見えることさえある。

スポーツマンシップをどのように受け継いできたか、その暗黙性を痛いほど感じる。戦うということの代替性とルールの重み。スポーツの距離感は、取りも直さず、ヒト同士の付き合いの延長にあるものだと思う。

おかしな言い方だが、動物としての情動を受け入れ、その表出を当たり前に思っている欧米に対して、僕らは社会という枠を嵌めて、隠そうとしているかのようだ。

良い悪いではない。そういう違いが、ウイルスの伝播にもあらわれるのかもしれない。

夕餉は、大根の皮のきんぴら、ホッケの開き、ゴボウのスープ、ご飯。

Appleは、macOS BigSur 11.1のパブリックベータを更新してβ2をリリースした。残っているバグのフィックス版という位置付け。