気づかないこと

 

曇り、のち晴れ。36度。

7時に起きる。

朝餉は、メロン、サニーレタス・キャベツ・パプリカ・カニカマのサラダ、ハムサンド、麦茶。

高校野球の交流試合が甲子園で行われる。センバツの出場校による1回だけの試合。観客がいないので本来の野球らしい音がフィールドから聞こえてくる。プロでもそれは起きている。コロナ禍でさまざまなものが表に出てくる瞬間に出くわすようになった。この国の野球でもそれが起きている。

内山節さんのエッセー『コロナと生きるということ(1)不安の正体』が僕らの社会と新しい生命体との関係を描いて読ませる。関係性としての生命体であるという点ではウイルスも人と同じであること。それを固体的生命(僕は僕で、君は君という具合に)としてヒトを特別視している僕らに、新型コロナは視点の引き戻しを迫っている。関係的生命体という捉えどころに、未だ科学になり得ていない事象への限りない近接を感じる。内山さんがずっと挑んできたのは、その未科学の領域への言及であり、その存在の大きさへの共感だと思う。科学が依っているエビデンスでは到底叶わないもの。だからこそ、柔軟でなければ立ち向かえないもの。

僕らがうすうす感づいていることを、内山さんは正面に見据えている。

昼餉は、ざる蕎麦、麦茶。

この暑さに、頭がクリアな人はいない。誰もがぼーっとしているので、何かが起きる。どんなことでも、起きる。

目の前で起きているのに、誰もが見過ごす。誰も気づかない。

秋になって、誰もが驚くのだ。

暑さにMacBook Airのファンが悲鳴をあげ、筐体が熱くなる。

夕餉は、キュウリと竹輪・カニカマの酢の物、シーフードと野菜のオイスターソース炒め、鶏ひき肉と冬瓜の、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・小松菜・豆腐)、玄米ご飯、モヒート、麦茶。食後にクッキー。

 

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