汚す

 

曇り、のち雨。29度。
7時に起きる。
朝餉は、アスパラのマヨネーズ添え、キャベツ・サニーレタス・大根・ポテトのサラダ、ロールパンと食パンのトースト、ルイボスティ。
デジタルの録音にスクラッチ・ノイズを入れる。デジタルの写真に劣化を入れる。歳月とか風化とかノスタルジーが、クォリティの一部に組み込まれないと落ち着かない。ノイズも劣化も、それ自体に価値はないのに、属性として加わることで得体が知れなくなる。
氏素性に得体の知れないことが条件として求められるようになってどれくらいになるだろう。
デジタルの良好な視界が、居心地の悪さにつながっている。一見するとそう見えたり聴こえるのだが、デジタルはそう思われているよりずっと視界は晴れていない。
昼餉は、梅肉・ツナ・ホワイトアスパラを添えた冷製パスタ、コーヒー。
居心地が悪いのは、クリアでもないのに、クリアのように見えたり聴こえることへの嫌悪だと思う。わざと汚すことで、素性を物語らせている。
聴こえないところが聴こえたり、見えない色が見えると言われる。その分解能は、確かにそこに存在する。だから、苛つくのだ。
CGが本物に近づいて、それを誇ることが陳腐化して久しい。本物はすでに手に入れることができなくなりつつある。近未来は手の内にあって、価値はどんどん落ちている。
デジタルの虚構性は、有価値から無価値へ加速する。すでに、無価値の価値さえ論じられている。
価値の無いという価値——デジタルのアノニマスは、まだ奥が深そうだ。
妻の作った夕餉は、ポテトサラダ、唐揚げ、味噌汁(大根・人参・小松菜・豆腐)、オムライス。食後にあずき饅頭。
ダウの乱高下が続いている。
教育テレビで、清水眞砂子さんをクローズアップした番組を観る。笑顔の素敵な方。心の闇について、この方の言葉には磨かれた鋭利さがある。正直であることが、時に殺めることだってある。さらりとお話になる。対峙されてきた方ならではの、身軽さがある。真実は、どこかに軽やかさを隠している。
ル=グゥインの翻訳にあたって、考えられたあれこれをもっとうかがいたい。

 

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