柳の小枝でありたい

 

雨、のち晴れ。20度。

7時に起きる。

朝餉は、トマト・大根・コーン・サニーレタス・カニカマのサラダ、冷奴、菓子パン、ルイボスティー。

書斎でキーを叩いていると、突然、音楽が止まってしまう。Wi-Fiは動いているのに、ルーターが反応していない。

インターネットに繋がっていないだけなのに、物事が先へ進まないような錯覚に陥る。

ルーターの電源を入れ直してボーッとしていると、ほどなくして、何事もなかったかのようにインターネットに繋がった。

原因は、もちろん、わからない。

ただ、空白の何分間かがあるだけ。

そのときのお手上げ感というか、無力感だけが部屋に漂っている。

幾たびも味わう、この無力感のようなものは、デジタル機器とインターネットにつきまとって離れない。

僕は、こいつらを信じていない、とそのたび思う。

なぜ、信じてないものに自分の大事なものを明け渡すのか。

その問いに、僕は正面から向き合っていない。わかっていても、向き合えない。

便利さと引き換えなんだからと、どこかで諦めている。

積み上げてきた便利さの体系は、一瞬にして崩壊する。便利であればあるほど、無力感は深まる。

それを均衡とは呼ばない。誰でもわかっていることだ。

金を払ってまでして、なぜ、無力感と引き換えなければならないのか。愚かさは、さまざまあるとしても、これほどのはそうそう思いつかない。

昼餉は、ざる蕎麦、チョコシリアル、コーヒー。

一方で、デジタルやインターネット以外にも、これはお手上げだ、と何度も味わうし、言葉さえ失ってしまう無力感が日々を覆う。金を払ったわけでもないし、便利だったわけでもないのに、骨身に染みて味わう。そのぶんだけ、立ち上がれないことも、ままある。

きっと、そちらの方がよほど肩に重い。デジタルやインターネットくらい味方でい続けてくれ、とどこかで願っている。だから、袈裟まで憎いのかもしれない。

お手上げで、無力感満載の日々に、正面から向き合うほどヒトは強くない。逃げるためさまざまに知恵をはたらかせる。そのためのツールのひとつであるデジタルやインターネットには、もう少ししなやかであってほしいものだ。

しなやかとはほど遠い自分を意識するほどに、そう思う。

夕餉は、ハッシュド・ポテト、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、キーマカレーの残り。

 

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