晴れ、ときどき曇り。12度。
寝たのは朝方で、8時に起きる。
朝餉は、豚バラ肉と野菜のオイスターソース炒め、温かい蕎麦。食後にコーヒー。
ルディ・ヴァン・ゲルダーという録音技師の音が好きになったり嫌いになったりして、その折々で僕の嗜好が変わってきたような気がする。
若い頃は、遠ざけていた。ディスク・ユニオンあたりでレコードを漁っていても、クレジットに彼の名前を見つけると買わなかった。黒い音を強調しているように聴こえたのだと思う。
ジャズなんだから黒く塗らなくてもわかる。
ちょっと生意気な言い方をすれば、そんなところだったのだろう。脂を脂で食べるような、食当たりみたいな音。それが三十代になるとそれほど気にならなくなった。レコードがCDにとってかわられ、量子化された先細りの音によって脂っぽさが中和されたのかもしれない。
それと、こちらがもっと脂っぽくなった。仕事もバリバリやってギラギラしていると、押し返せるだけの体力がついたというか。
若い頃に感じていた嫌悪のようなものが戻ってきたのは五十代になった頃だったと思う。気づくと、彼のクレジットによるリマスターというシリーズが出始めていた。彼の名を知らなかった世代が、彼を必要としていた時期だったのだろう。
ヒトは、そうやって要請される。
昼餉は抜き。
彼がジャズに果たした役割は不動になった。再生芸術という領域において、彼の功績に並ぶ技師はいないと思う。ひょっとしたら、ジャズという表現形式の一端を担ったと言える。
ネットワークプレーヤーやUSB-DACで高解像度のデジタル音源を愉しむ時代になって、彼の脂っこさは蘇った。
プンプンするその匂いに惹きつけられる若者たちの姿は、遠い昔の自分とどこか違う。良い悪いではなく、ただ違う。なんだか、良い時代になったらしい。レコードも選べる、そんな時代なのだ。昔の僕らが、カセットやオープンリールも選べたような、そんな感覚かもしれない。
9キロをジョグ。
レッド・ガーランドの今の『Red Garland’s Piano』はもちろん彼のリマスターと謳われている。それを、老若男女が買う。CDだったり、ビニールだったり、ストリーミングだったり。
僕は、彼の名前を見ても、聴いても、今では何も感じない。ただ、その名前をなぞるだけだ。
夕餉は、カマンベールチーズ、ミルクをかけたシリアル。