たちの悪さ

おおむね晴れ。7度。
7時に起きる。
朝餉は、野菜炒め、お餅を入れたみそ汁(大根、人参、サツマイモ、ネギ)、コーヒー。
この社会に浸かり、その内側で夢や希望を語ることである種の多幸感を得る。そういったかたちで充足する社会は終わりを告げている。社会性とは、ある種の多幸感でしかない。僕らの社会は、思っている以上に狭小であることに気づいた人が、多幸感と狭小の息ぐるしさの均衡について声をあげ始めている。
社会の経済的側面には狂気が潜んでいる。人口が増え続けると信じるのは狂気であろう。社会の道徳的側面にも狂気が潜んでいる。命は重いと言いつつ、屠殺のシステムを築く。それに異議を唱える他の一族たちは僕らの言葉を解しない。解しないと思い込むのは狂気であろう。命の軽重をライオンやトムソンガゼルは語らない。屠殺のシステムなど彼らの社会には存在しないからだ。
昼餉は、チーズバーガーとフレンチフライ、コーヒー。
湖岸道路をゆっくり走る。滑るような湖面に水鳥。
3キロをジョグ。女房も一緒に。
いただきます、とは命をいただくことだと語る得心顔が、この社会の狂気を知らぬはずはない。その顔は多幸感に覆われている。社会の通底には、多幸感が潜んでいる。それはさまざまな様態や容態をとっている。身近なところでは、インターネットがそうだ。月単位でこれほど金を費やす物事は、他に見当たらなくなった。もっとも金を投じているインターネットが、一方で便利であり、タダで情報が得られると言われる。そう信じて、膨大な金を払うのも狂気である。地域の経済は崩壊し、店は潰れ、普段の用が地域で足せなくなって久しい。
夕餉は、ミートボール酢豚、みそ汁(大根、人参、サツマイモ、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、ご飯。コーヒーとクッキー。
電気がなければインターネットは使えない。電気はインターネットと同義である。社会とは、通電する仕組みといってもいい。通電が存立基盤になった社会は脆い、と警告する専門家がいる。それも狂気であろう。
頑強さを求めると、頑強さから見放される。
多幸感とは、麻薬の異音同義語のことだ。