忌まわしいこと

雨のち曇り。5度。
6時に起きる。
朝餉は、さつま揚げと野菜の卵とじ、みそ汁(大根、人参、サツマイモ、玉ねぎ、豆腐、大根の葉、ネギ)、バナナ、トースト、紅茶、緑茶。
女房の出勤日で弁当を。
社会とは、僕らが仮想した生き方の総体のことを言う。
そもそも、生き方という型じたいが仮想だ。自然界にも、己を基底する型のようなものは存在する。蟻や蜂の営みにそれは顕著だ。社会とは、言い方を変えれば、密度の高い組織的行動の基底と言える。
その基底にあるのは、外界への還元という恩恵のことに尽きる。蟻は死骸の始末を通して土壌を豊かにするし、蜂は植物の交配を促す。自然界に組み込まれた基底は、恩恵として機能している。恩恵が基底になっているのだ。
昼餉は、弁当おかずの残り。
僕らの営みの基底にあるべき還元が切り離されてしまったのは、ここ百年という最近になってからのことだ。
幸福を追求すると、僕らは幸福から見放される。社会としてそのことに気づいたのも最近のことだ。外界への還元の中心に恩恵という型があるはずなのに、僕らの作った社会が恩恵に沿っていないことに気づいたのも最近のことだ。
恩恵とは、もっとも遠回りした配慮のことである。個々の配慮が集団の配慮を形作る。それは巡り巡って、個々へ還元される。そうしてはじめて、自然界へ恩恵という形をとって還元されるのだ。僕らが営むことによって、外界は潤っている。その確信もなしに、営みは成り立たない。
自然は僕らの社会の外にあって、瀕死に直面している。僕らの社会は災害に遭い、さまざまな惨劇に直面する。僕らの基底が恩恵という形で自然に還元されていないことを具体的に知るのは、そういう時だ。
夕餉は、おでん、ご飯、赤ワイン。食後に抹茶を二服と生菓子。
個々の命を追求すると、大きな命から見放される。
幸福を追求する社会は、幸福から見放される。
僕らは手遅れになってやっと気づく。