Little Did They Know

 

おおむね晴れ。34度。

7時に起きる。

朝餉は、冷奴、焼き茄子、キュウリとワカメ・竹輪・カニカマの酢の物、トマトを添えた焼鮭と卵焼き、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、油揚げ、ジャガイモ、エノキ)、玄米ご飯、麦茶。

女房は彦根のカフェのマスターのところへ。新盆に来れなかった友人と旧交を温める。

7キロをジョグ。滝の汗。

昼餉は、ドーナッツとチョコパン、サイダー。

誰もが、鑿と槌を持っている。造作も大きさもさまざまだが、持っていないヒトはいない。その使い方もさまざまだ。

憧れるのは、少しずつでも確実に穿っていくようなヒト。

少しずつとか、確実とか、そういうことはきっと自覚していない。眺めていると、そう見えるだけのこと。

ただ、判で押したように向かっている。己との対話に忙しくて、ほかのことに気が回らない。そういう向き合い方について、俯瞰してみるとか思いも及ばない。朝が巡ってくると、また同じように向き合う。

そういうヒトのそばにいると、こちらが純化していくのがわかる。騒々しかった心のうちが鏡のように真っ平らになっていく。

そんな成分が己のうちにあるのか、しばし覗き込んでみる。

夕餉は、冷奴、豚ばら肉と夏野菜のポン酢炒め、キーマカレーの残り、麦茶。食後にアイスコーヒー、花林糖、スイカ。

小さい鑿と槌――すぐに壊れてしまい、細々と手入れをしながらでないと使えない。自分のはそんな道具だったとしても、いかに使いこなすか考え続けることが、向き合い方なのかもしれぬ。

Angela Davisのアルトサックスがいい。若いのに、ギラギラして見えないのは、よほどのことだ。向き合い方に対する示唆に、老若や男女は関係ない。彼女の姿勢は、音に現れている。

 

f:id:Tosshy:20190819103349p:plain