その音は、作られた虚無の音

 

嵐。29度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナと豆乳、ヨーグルトのジュース、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、エノキ、豆腐)、BLTサンドイッチ、麦茶。食後にアイスコーヒー。

気圧が下がる。風圧はいや増す。雨脚は細いものの、間断なく降り続ける。

デジタル技術の近傍で仕事をしてきたのに、僕はデジタル技術全般を斜に見ている。疑っているし、便利という言葉に違和感を抱き続けてきた。

今は、確信になっている。

このブログも含めて、暮らしからできるだけ排除しておきたいし、それ無しでも普通に暮らせる技量を身につけようとしている。

デジタル技術なしでも生きられるか、と問われるとそれはもう不可能に近いところへ来た。身の回りはなんとかなっても、電力など基幹では考えられない。したがって、僕が排除したいと書くのは絵に描いた餅以上に虚しい。

昼餉は、ハムとカニカマを添えた、ゆず風味のつけらーめん、麦茶。

だが、心がまえは変わらない。いつ足元をすくわれても仕方ないと諦めた。3.11の時にそれは現実となり、僕らはどこへ行くにも歩いた。停電が計画され、定常的な物事は消え去った。基幹はすべてデジタル化された管理システムで動いている。その代替システムもそのまた代替システムも、すべてが止まる。

この世の頼りなさは、たぶん半世紀前よりもっと深刻だった。

便利なんて、すべて信じないことだ。

手足を動かすに限る。それが基本であり、すべてなのだ。

夕餉は、キュウリと竹輪、ワカメの酢の物、野菜あん掛けの揚げ豆腐、チャーハン、麦茶。食後にアイスコーヒー、ロールケーキ。

台風がどこにいるのか、床について本を読んでいると気になる。手元のスマホに手を伸ばそうとして、屋根を叩く雨音に耳を傾ける。さっきよりどう変化したのか。五感を頼る。

スマホの緊急音が鳴る。どこかで避難警報が出たのだろう。

 

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