晴れ。28度。
7時に起きる。
朝餉は、バナナ、レタスとトマト、ピーマン、パプリカ、竹輪のサラダ、コンソメスープ、ハムと目玉焼き、トースト、紅茶、豆乳。
気温がずんずん上がる。濃厚な夏の気配。岳父の庭に、飛び疲れた蝶々が屋根瓦の上から降りてくる。ふらふらと。見ているだけでも、暑そうだ。
昼餉は、抜き。
11キロをジョグ。トンボが飛んでいる。
佐野洋子さんの文章は面白い。ご本人は読書家だったが、読後というものがまったくなかったと吐露している。中身をすぐに忘れてしまう。次から次へと手当たり次第に読んで、それっきり。読めるものならなんでもよかったから、それが幼い頃なら意味などちんぷんかんぷんだったのだと。
本は、寝転んで読む、通学の行き帰りに読む、ひたすら読んでいたのだろう。だから、読後などという時間はきっと存在しなかったのだ。
黒い心 シュバルツ・ハーツの冒頭より--
わたしの父は、外国人のことをケトウと呼んだ。マッカーサーもケトウでベートーベンもケトウだった。
「日本はいつ発見されたの」と父に聞いた時、「日本は発見されなくてもちゃんとあった。ケトウのいいそうなことだ」とはきすてるにいった。
そして父は学校で西洋史を教えていた。
向田邦子さんもそうだが、女の子にとって父親ほど理路整然としつつも不条理で、それが深淵である存在はないらしい。深淵とは、この場合、奥深いという意味ではない。ただなんとなく安易ではなさそうだ、くらいの感じだ。
夕餉は、チャーハン。
谷川俊太郎さんとご夫婦だったことを知らなかった。佐野さんの本を読むなら、谷川さんもだな。なんとなく、そう思っていた。
僕も、きっとどこかで読んで忘れている。読書家でなくとも、それくらいである。