見るように、読みたい

 

晴れのち曇り。25度。

6時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツとレタス、コーン、キュウリ、玉ねぎのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、ズッキーニ、豆腐)、ハムと目玉焼き、トースト、アールグレイ、豆乳。食後に人形焼とコーヒー。

女房と街を散歩。5キロほど。アジサイの花が家々の庭で競っている。米原の家のも、青い花をつけているだろうか。

昼餉は、レンコン揚げ、ずんだ餅。

絵には、かなわない。

5秒もあれば、事足りる。一瞥というではないか。

わかったつもりにさせてくれる。それがすごいのだと思う。音楽も文章も、もっと時間がかかる。近いのは俳句かもしれないが、一瞥とまではいかない。

一瞥さえすれば、すべてがドッカーンと入ってくる。それから、細部を覗き込むといろいろわかってくるが、それは理屈の部分だ。僕らは、理屈の生き物の側面を持たされている。そこでは一瞥が許されない。放っておくと、不幸を招き寄せてしまうから、僕は一瞥を後生大事にして手放さないようにする。

もっとも、そうやって肩肘張ってしまうと、それはそれでいけないらしい。一瞥は、一瞥でしかない。その塩梅で生きねばと思う。

夕餉は、味噌汁(人参、玉ねぎ、豆腐、エノキ)、焼きそば。食後にアイスクリーム。

読むことに疲れて、目を遠くに向ける。

風景が頭に流れ込んでくると、文字が希釈していく。

その瞬間の混ざり。あれが、一瞥の凄みなのだと思う。

頭の芯が、塊から流れだそうとして震える。

一瞥の本性がそこにある。

 

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