守拙

曇り。8度。
8時に起きる。
朝餉は、キャベツと玉ねぎ、コーン、ツナのサラダ、みそ汁(人参、玉ねぎ、小松菜、ジャガイモ、えのき、豆腐)、パンケーキ、コーヒー。
愚鈍であれという教えは、言い方を変えると功に走ることを諌めている。愚鈍とは不器用に通じる姿勢で、拙いことを守り通せということを指している。
見下されるくらいがちょうどいいのだ、と己に言い聞かせるのは辛いが、何事も不器用であることが器用を異なる見地から見直せる。
昼餉は、フレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。
湖面が西日を受けて輝く。
守拙という言葉は、そういう気分を込めている。
それがいかに難しいことか。守拙という言葉をわざわざ作る、その存在が困難さをいみじくも物語っている。言葉があってそれをなぞるのと、もともとそういう生き方しかできないというのとでは在り方がまったく違う。才走って功を追いがちなのが人だろう。守拙を百へん唱えたところで愚鈍にはなれない。愚鈍を追い求めるのと、愚鈍であることは同じではないのだ。
夕餉は、ジャガイモとピーマンを添えたチーズハンバーグ、みそ汁(人参、わかめ、豆腐、玉ねぎ)、ご飯。食後に白湯とチョコレート。
愚か者は、自分は愚か者だとは思わない。
守拙、守拙と言い聞かせなければならぬ人ははたして巧者なのか、それとも究極の愚鈍なのか。