退院

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。26度。

6時に起きる。

朝餉は、大根・コンニャクの煮物、ナス煮浸し、インゲン・レタスを添えた和風ハンバーグ、味噌汁(ズッキーニ・油揚げ・豆腐・人参・ネギ)、ご飯、メロン。食後にコーヒー。

酸素吸入器の業者が訪う。酸素カニューレにつなぐ酸素濃縮装置の設置。取り込んだ外気から特殊なフィルターを使って酸素を吸着させ、濃度を高めるらしい(そんなイメージかな……)。

母の場合、カニューレは1リットル/分という圧力だ。それくらいだと、体内の二酸化炭素濃度は少しずつ高くなる。でも、息苦しさは低い。老衰による肺機能の低下が影響しているので、意識がある状態は1週間も続くかどうか。フィルターは1週間ごとに、カニューレは1ヶ月おきにそれぞれ交換することがマニュアルに書かれている。

姉と病院へ。母の退院手続き。ストレッチャー対応の介護タクシーに乗せて、自宅へ。道中、持ち堪えられるだろうか、と母の様子を見て思う。こちらの問いかけにはまったく答えない。それでも仕方ない。決めたからには退院しかないのだと改めて腹を括る。

帰宅にあたり、点滴をやめてもらう。家に帰っても点滴はしない。体が点滴のせいで浮腫んでしまい、パンパンに腫れている。母の体はそんなリッチな栄養をすでに必要としていない。点滴を止めればおのずと体も楽になるし、母も自分の体を終わらせる準備ができる。それが真正の老衰というものだ。

点滴をやめますね、と看護師の若い女性が僕を見て言う。そんなことを家族に言うのは初めてらしい。

お願いします、と言って僕は深く安堵する。母さん、これでよかったんだよね、と。

自宅に着いて母をベッドに運んだら、訪問看護師さんとケアマネさんが訪う。ベッドの脇には点滴棒があるのだが。チームで決めたとおり、もう点滴はしないことを伝えて、それを看護師さんが認めてくれる。一安心だ。ここで行き違いがあると困る。終末期のことをわかっている人たちがチームになってくれて心強い。

母の流動食は、梅肉・出汁のお粥、味噌汁(豆腐・人参・サツマイモ)。味噌汁はミキサーにかけて粗く砕いた。そこまで作ったものの、母は安心したのか熟睡している。母は日曜からずっと点滴だけで生きている。食べられたとしても、ほんの少しだろう。

家に着いてすぐ、母の顔は見違えるほど穏やかになった。居る場所に居る、そのことを理解したのだ。僕の顔を見て、お元気ですか?と尋ねてくる。頷いて、あなたはどうですか?と聞いたら、元気です、と母は答えた。

病院では叶わなかった会話だ。僕はそれだけでも帰宅した価値があったと思う。

母とのツーショットを撮って、妻に送る。待ってますよぉと一言添えた。妻は明日の成田発でやってくる。

夕餉は、大根・コンニャクの煮物、目玉焼き、鶏胸肉のソテー、ご飯、ウィスキー・トワイスアップ。