曇り、ときどき日差し。9度。
8時に起きる。
朝餉は、かぼちゃと大根の煮物、シャケと小松菜・シメジのクリーム煮、ご飯、ヨーグルトをかけたリンゴとバナナ。食後にコーヒー。
FilcoのMinila AirとかNobleのFalconだとかBluetoothがバージョン3のデバイスを使い続けている。
つい想像してしまう。バージョン5.1がもたらすことを。チャタリングや受送信設定の煩わしさがないキーボードやイヤホンのことを。そして5.1準拠のデバイスを買い揃えたころ、僕らはどんな歯痒さでもってバージョン6とか7に準拠したピカピカのデバイスを見ているのだろうと。
舌打ちしながら、バージョン3を使い続ける。今日もチャタリングで「あ」が10個くらい連打される。布団に入ったところでイヤホンをiPhoneに繋げるためにMacBook Airのところまで起き出す。
そんなものだと思っていれば痛痒はない。
便利は、煩わしさの裏返し。便利という線路に終点はない。途中下車したら、未来は見えない。ホームに佇んでいると、強迫観念という駅員が心配して声をかけてくる。
駅を出て、歩きだす。
「おい、終電が来るぞ!」
背後から声が聞こえる。
僕が見たいものは、その線路の向こうにはない。
夕餉は、キャベツ・大根のサラダ、かぼちゃと大根の煮物、味噌汁(サツマイモ・玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯、ウイスキーオンザロック。食後にかりんとう、お茶。
AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新した。iOSの15.2はβ4。
Spotifyから今年の総括が送られてくる。僕がどんな楽曲をどれほどの頻度で聴いたのか。ジャンルやアーティストが順位として表示され、3時間あまりのプレイリストになっている。それを聴いていると、着慣れたシャツのように感じる。
デジタルを手なずけることはできない。どこかで脳に直結している。
その本質は、中毒なのだ。