峻厳な巡り合い

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。26度。

6時に起きる。

コーヒー。

たとえば、コーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』から始まる国境3部作に若くして出会う人のことを思う。

体がむずむずし始めて、気づいたらバックパックを背負っている。漲っているのに、思いは病んでいる。若者はいつだってそうだけれど、かたわらに3部作がある。

アメリカで書かれたちょっと古風な小説が若者に打ち込んでいった楔は、死ぬまで抜けない。

物語のフォーム。言葉の連なり。喚起の連鎖。

若くしてマッカーシーに囚われる。その邂逅が覆っていく細胞の分裂のことを思う。

マッカーシーに出会うなんて、その歳で。

ずるいじゃないか、とジジイは珍しく思う。

トルストイでもトーマス=マンでもアンドレ・ジイドでもないのだ。

絶版になっているその本たちを神田の古書街で手に取る瞬間が訪れる。その若い人の姿を思う。

きっと再販はむずかしかろう。

出会いの隘路は閉じようとしている。

Amazon席巻の時代だというのに、巡り合いの、とてつもない厳しさを思う。

席巻の時代だからこそ、というべきかもしれない。

昼餉は、リンゴジャムのトースト、豆乳、コーヒー。

ジョギング、9.79キロメートル。

妻から写真が送られてくる。芙蓉の葉をむしゃむしゃと食べる毛虫たちの姿。その奥に見える一群の蕾。

夕餉は、冷奴、野菜とウインナーソーセージの醤油ラーメン、ウイスキーオンザロック、冷たいほうじ茶、コーヒー。食後に芋けんぴ、ナッツ。

妻とビデオ会話。

 

 

 

 

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