曇り、ときどきパラつく。29度。
6時に起きる。
冷たいほうじ茶、アイスコーヒー。
こんな毎日にも流行り廃りがあって、ほんの4年前だというのに、その日記には別人のような日々が綴られている。
そもそも食い物が違う。そんなものを、なぜ毎日のように、と首をひねるような。
あまり適応性のない絶滅危惧種のような生き物をガラス越しに覗き込んでいる気持ちになる。
4年前の日記には、どこか長閑な空気が流れている。そこには、吹き荒れる病原体の影がない。
昼餉は、干し葡萄、シリアル、りんごジャムを塗った全粒粉パン、ミルク、コーヒー。
米軍が撤退しつつあるアフガニスタンをタリバンが掌握した。彼らの広報官がインタビューに答えている。
自衛隊が来たとしても、すぐ帰ってほしい。だが、それ以外の日本人は歓迎する。
その物言いは、お前たちは人質以上でも以下でもない、と言っているように聞こえる。
僕らの異質性は、世界のどこへ行っても明白だ。僕らが意識しているのは、ほんの一部分で、異質性の全貌を把握している他国の人々は、いかに異質かということを決して詳らかにはしない。
そんなお節介を焼いても、僕らがどうにかなるとは思っていないし、どうにかしたいとも思っていない。眼中にない。
「僕らは、異質性を抱えている」
と書かれた紙を目の前において、文章をじっと眺める。自分たちを認識するのは、その程度の行いでしかない。
夕餉は、冷奴、夏野菜とウインナーソーセージの中華炒め、ざる蕎麦、ウイスキーオンザロック、冷たいほうじ茶。
妻とビデオ会話。つれづれなるままに話し込む。