表明しない、という鈍感さ

 

 

 

 

 

曇り、ときどき雨。22度。

6時に起きる。

コーヒー。

フィル・ロビンソン監督の映画『Field of Dreams』を撮った地で、ホワイト・ソックスとヤンキースが公式戦を繰り広げたのは先週のこと。それからというもの、彼の地では原点への回帰が語られるようになった。

思えば、ジョー・ジャクソンたちが永久追放されたあの事件も、野球というのんびりした匂いのするスポーツを原点へと導く出来事だった。

野球は、そうやって幾度となく往還を繰り返しては前へ進んでいく。それが祝福であることを、彼の地に生きる人々は肌で感じ取っている。

日本の野球はどうだろう——甲子園の球児たちを観ながら思う。

昼餉は、リンゴジャムを塗った全粒粉パン、カフェオレ。

女子7種競技や近代5種に集った人々の写真は、オリンピックの意味を改めて問いかけているようだ。

競技の数が増えていき、細分化される一方で、変わらぬスタイルを貫く競技には国を超えて互いを称え合う選手たちが集う。

その姿を伝える映像を、僕らは脳裏に刻んだろうか。

後付けでゴテゴテと付け足された意味は剥がれていく。集い、限界をかけて競う。その姿を見ることのほかに意味はあるだろうか。

この国の為政者が、復興五輪と口にしたとき、ベルリンオリンピックの意味を語ったアドルフ・ヒトラーのことを引き合いに出したメディアはあったろうか。

綺麗事を口にする為政者へ、スポーツのまことの意味を語ろうとしない罪深さをメディアは表明しただろうか。それは、加担することと同じ行いなのだと、メディアはわかっているだろうか。

夕餉は、トマト、冷奴、納豆、夏野菜とソーセージの中華炒め、ご飯、冷たいほうじ茶。

妻とビデオ会話。ハウスメーカーの営業氏のところへ出向いた妻。取り巻く事情のことをあれこれ話すと、営業氏も理解してくれたそうで。

「なんとなく諦めてくれたみたいよ」

そう言って、妻は息を吐いた。

Appleは、macOS Big Sur11.5.2をリリースした。バグやウイルス対策を施した微修正バージョン。

 

 

 

 

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