半日ではわからないこと

 

曇り。27度。

7時に起きる。

朝餉は抜き。

クルマで妻と人間ドックへ。

聴覚検査とか骨密度検査、肺活量、X線撮影、超音波検査などに使われる器具が世代交代している。一方で、採血は相変わらず。看護師の技量に依っている。採血が自動化されるとか、採血しない検査になるとか――そこまで生きていることはなさそうだけれど。

年寄りの検査はゆっくり進む。検査を施す側は掛け持ちが増えて、人が減っている。医者との面談とか触診がどの検査より早く終わる。既往症とは別に、気になっていて相談したい。そんなことは誰にでもある。学会の調査によれば、人間ドックの結果でおおむね問題はないという人は全体の9.5%という。

昼餉は、施設のレストランで。僕らの胃袋は半分くらいの大きさになったようだ。妻が唐揚げを残す。

珍しく下剤の効きが早い。良いことはそれだけだが、あるぶんだけマシというもの。

ウエスト周りが増えたのは、ジョギングをここ一年ほどサボっているから。それでも体重が減った原因は、筋肉が落ちたからだろう。減ったといってもわずかだ。

検査する前から、自覚していることがある。執行猶予はどれくらいだろう。それを確認する日でもある。

夕餉は、ポテトサラダ、コロッケ、妻の作った焼きそば、麦茶。

年寄りでも、Lo-Fi Hip HopだのChill Hopだのを好んで聴く。体の衰えはあるし、感性はもちろん衰えている。それでも若者とシームレスにつながっている気分でいる。若者は、こちらを同じような気分で見てはいないと思う。

いつの世も、年寄りはそんな感じで生きてきたのだろうか。

僕は、そのあたりのことがわかっていない。

 

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