隻眼の視界

 

晴れのち雨。22度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルトのジュース、りんご、ポテトサラダ、味噌汁(人参、カボチャ、煮干し、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、レタスの代わりにキャベツのみじん切りのBLTサンドイッチ、コーヒー。

現実とは目の前に在ることの総体だが、しかし、それだけとは限らない。ひょっとすると、それは全体の半分にも満たない。残りは、創り出すしかない。現実は、在ることと在りつつあること。そして、在りもしないことによって形作られている。

創り出すのは個々人であって、誰か他の人ではない。わかりきったことなど一つもないのだが、そのことをわかりきったように言うのはなぜだろう。

それは奇跡だ、と誰かが言う。ほかの事象は取るに足らぬものだと言っているようにも聞こえる。奇跡の物語を紡ぐ作家たちにたずねてみたい。それ以外の事どもをどのように捉えているのか、と。

ある種の神は、奇跡を行う。それがことさら語り継がれる、そのわけを知りたい。奇跡が在るのはなぜだろう。語り継ぐ人々は、神をどうしたいというのだろう。

昼餉は、レーズンパン。

10キロをジョグ。腰痛を確かめて、おっかなびっくりに。

人が奇跡に飢えているかのように見えるのは、奥底にどんな欲求があるからなのだろう。それは、現実の残り半分の要素とつながっているものだろうか。

夕餉は、女房が作ったタケノコの豆乳煮、タケノコのバター醤油炒め、味噌汁(人参、カボチャ、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、そぼろの二色丼。食後にコーヒーと女房が作った抹茶あずきゼリー。

残りが在ると信じている僕は、どんな根拠に依っているのだろう。その確信めいたものこそ、もしかすると奇跡なのでは。

何も無いのと、何かが在るのと。

それは詰まるところ、同じことを見つめているのかもしれぬ。

 

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