遺すという勝者

晴れ時々曇り。真夏日。
八時に起きる。
朝餉は、レタスとパプリカ、コーンのサラダ、ヒジキ煮、そら豆煮、味噌汁(人参、ジャガイモ、玉葱、シシトウ、油揚げ)、トースト、バナナとヨーグルトのミルクセーキ、アールグレイ、冷たい番茶。
ラジオで甲子園を。盛岡大付属と済美、大阪桐蔭と仙台育英が信じられないどんでん返しを繰り広げる。
女房と歩いて清岸寺へ。墓参り。義姉たちが一足先に訪れ、掃除や献花をしてくれていた。蝉しぐれを浴びて深い木陰を歩く。
寺の手前の小学校校舎が跡形もなくなっている。女房が卒業した古い木造の建物は、移築したわけではないだろう。木材はどうなってしまったことか。どこから見ても文化財だったが、保存する予算はないらしい。近在や卒業生は何を思っているのだろう。考えるだに薄ら寒い気分になる。江戸時代を大事にするのなら、昭和初期のものだって百年も経てば同じだろうに。
入り側書斎でキーを叩く。
昼餉は、女房が作った人参、玉葱、トマトの卵とじ、枝豆ご飯。
七キロをジョグ。
夕餉は、さつま揚げ、ヒジキ煮、枝豆豆腐、味噌汁の残り、冷やし中華、梅酒のソーダ割。食後にロールケーキとアイス珈琲。
映画『関ケ原』が今月末に封切りされる。石田三成を見直す機運はずいぶん前からあったが、この映画もその一躍を担う。勝者の書いた歴史だけが歴史ではない。当たり前のことだが、ひとたび掘り起こそうとすると難しい。この国も、勝者によって綴られてきたクロニクルが大半だ。
木造の校舎が遺っていれば、その研究は後年に受け継ぐことができる。今の時代に勝者も敗者もないと言う者は鈍感なのだ。無神経とか無関心という勝者が跋扈していることを僕らは忘れてはならない。
壊してしまったら、もうそれっきりなのだ。