そうであり、そうでない

晴れのち曇り。十三度。
六時に起きる。
朝餉は、小松菜と白菜、竹輪の卵とじ、レタスとキャベツ、コーンのサラダ、蜂蜜入りヨーグルト、林檎、味噌汁(大根、ジャガイモ、油揚げ)、トースト、アールグレイ。
女房の出勤日で弁当を。冷凍惣菜、卵焼き、卵とじ、キャベツのサラダ、かまぼこ、鶏と卵の二色そぼろをかけたご飯。
食堂でキーを叩く。
昼餉は、弁当のおかずの残り、味噌汁、そぼろご飯。
午後、九キロをジョグ。暖かくなる。
夕餉は、鶏唐揚げにキャベツ、味噌汁(大根、人参、玉葱、油揚げ)、二色そぼろご飯。清酒をすこし。
本が届く。コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳『血と暴力の国』(原題:No Country for Old Men)。
言わずと知れた映画の原作だが、読まずにきてしまった。そもそものマッカーシーがすっぽり抜け落ちているので、ものすごく損をした気分がずっと続いている。瑞々しい時代に読みたかった。今の歳ではだめなのだ。それが悔しいし、哀しい。もっとも、同時代ではそれもかなわないことだった。
『ビュリダンのロバ』とは、フランスの哲学者、ジャン・ビュリダンの意思決定論から生まれた話しといわれている。でも、出典元は明らかじゃない。
腹を減らしたロバがY字路にやって来る。左右どちらの道にも、同じ量の干し草が同じ距離の先に見える。ロバは、どちらも魅力的で選ぼうにも選べない。その場で餓死してしまう。
同質・同量の価値は選べない。二者択一にともなう苦痛より、餓死の苦痛のほうが選びやすい。不作為という第三の選択が理性を邪魔する。選択の困難性を突いているといわれる。
餓死は一見すると破滅的な選択だが、それがおそろしく長い時間をかけた選択だったとしたら、という観点もある。
人生は、ビュリダンのロバだろうか。