毒性に気づくということ

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。10度。
7時に起きる。
朝餉は、バナナ、サラダ(キャベツ・大根・チーズ・カニカマ・バジル)、ハムと目玉焼き、味噌汁(ナメコ・油揚げ・豆腐・大根・玉葱・人参)、バタートースト、アールグレイ。食後にコーヒー。
左肩が痛む。歩き始めるとすぐ骨が引っ張られる感じになる。就寝前のスマホくらいしか頭には浮かんでこない。肩をまわすとゴリッゴリッとか、ボキッボキッというあやしい音にも慣れた。痛みが切ないから、散歩は妻だけで。
昼餉は、菓子パン、コーヒー。
スマホで見る動画のたぐいは、多くが作り物だ。Xに埋め込まれたのもまともなものはない。それに四六時中つきあって、親しいものたちと共有するのは誰かの思うつぼだ。その誰かは世界中にいて、拡散させることしか頭にない。
そんな物事にひっぱられ、キャリアの料金体系が安くなっていく。あまねく電波を届けることを仕事にする人々が、誰かの思うつぼも手助けする。
歴史を変えた小さな行動が、やがて歴史を動かすようなうねりになっていく。バタフライ効果と呼ぶらしいけれど、良い意味ばかりがあるわけではない。化けの皮は剥がれると歴史は教えてくれるが、ぼくらは時間のなかにいることの怖さをあまり考えない。時間という作りものがぼくらを苦しめていることまで考えたりはしない。
動画はもちろん時間という魔物の落とし物で、それはどんどん短くなりあなたの暮らしの邪魔はしない、という顔をして這い寄ってくる。
肩の痛みという具体的な異常によって、ぼくはそれらが持っている毒性に気づく。体が教えてくれることが、いちばん正しい。ぼくが信じているのは、そこだけだ。
もちろん、肩とスマホがつながっていないとしてもなのだが。
夕餉は、大根の皮と人参のきんぴら、里芋の煮っ転がし、妻の作った鶏肉とジャガイモのクリームシチュー、玄米ご飯、赤ワイン。食後にかりんとう、コーヒー。