静への衝動でもある

 

晴れ、のち降ったり止んだり。6度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツ・大根・コーン・ツナ・カニカマのサラダ、卵焼き・卯の花煮・きんぴら、味噌汁(人参・玉ねぎ・もやし・ワカメ・油揚げ・豆腐・ネギ)、トースト、リンゴ。食後にコーヒー。

止まってしまうことに僕らは敏感だ。生体反応や代謝が、そもそも動くことの定義になっている。後退だって、動いていることに変わりない。

存在の証明は、現時点をマークすることが起点になる。動いていれば、差分が得られる。座禅は、動への高度な観察でもある。ある部分の差分を知るために、他の機能を鎮める。地点のマークというプリミティブな行為を昇華したカタチが座禅なのだろう。

ことさらに動け、動けという風潮が少し前から目立つけれど、僕らに動けと命じるのは、動くことを宿命づけられている存在をさらにどうしたいのか、正直言ってずいぶんな物言いだと思う。

stay home——すぐ息が詰まりそうになるのは、体内の動けという声を鎮める術が見つからないせいでもある。動けと言われるのは、どこかで死ねと言われることにつながっている。生命の果つるところだから。

誰かに、闇雲に、強迫的に、動けと言われる。

動への衝動は、狂おしい。

僕らは、止まっていてもなお、ものすごい勢いで動いている。

昼餉は、シリアル、カレーパン、コーヒー。

ジョギング、5.78キロ。西北西の強い風。雨脚が強くなって、切り上げる。

なにもかもから逃げるように、ひきこもっている人は、動いていないわけではない。

猛烈なスピードでかけまわっている何かがあって、それを見つめているとか、宿しているとか、御している。そんなふうに、僕には見える。

だから肯定するとか、否定するとか、そういうことではない。ただ、そう見える、ということである。

夕餉は、がんもの煮物、小松菜と厚揚げの生姜炒め、黒豆煮、卯の花煮、味噌汁(大根・人参・玉ねぎ・ワカメ・もやし・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯。食後に紅茶。

 

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