パラダイムの喪失

曇りときどき雨。8度。
7時に起きる。
二人で湖岸の筑摩神社まで散歩。5キロ。湖面は油を流したよう。
遅い朝餉は、みそ汁(大根、人参、サツマイモ、豆腐、玉ねぎ、大根の葉、エノキ)、フレンチトースト、ミルク、コーヒー。
庭の草が伸びている。今冬は暖かい。
昼餉は抜き。
カローラ・スポーツはオプションをつけるとグレードによっては三百万円を超える。サイズは3ナンバーになってしまった。もうあのカローラとは別物だ。ドアを閉める時の感触や音さえちょっと違う。相変わらず垢抜けないインストルメント・パネルがカローラの残照みたいに見える。プラットフォームが変わると、こうも違うのかと。
エクステリアの意匠はひどい。基調となる線が見当たらないので、目をつむっても外観が脳裏に浮かび上がってこない。
乗り心地はいいのに。
夕餉は、女房が作った餡かけ厚揚げ、チーズハンバーグ、みそ汁(大根、人参、サツマイモ、小松菜、豆腐)、ご飯。食後に抹茶二服と桜餅。
世界のクルマを見渡しても、インフォテイメントの中核を担う液晶パネルの収まりがいい意匠はほとんどない。借りてきた感じが漂う。この期に及んでクルマにおける情報性の方向づけが定まっていないのは不思議だ。あのTeslaがもっともひどい。中央のでかい液晶パネルを見ていると、なぜかどんどん悲しくなる。
終わってしまった内燃機関の時代をどう見送ったらいいのか。メーカーは言葉を探しあぐねている。
日本はすでにクルマが売れない国の筆頭になった。若者から先に見放している。魅力あるクルマがないのだと専門家やジャーナリストが言っている。
クルマという解決手段に若者は魅力を感じないのだと僕は思う。
モノとしての存在より先に、それが社会の解決手段として機能していない。若者にはそう見えている。