アルゴリズムという赦し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたリンゴとバナナ、キャベツ・大根・アオサのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・大根・キャベツ・油揚げ・豆腐・小松菜)、バタートースト。

LINNのSpace Optimizationを再計算させる。アジャストボタンができたので、見おとしたまま入力できずにいた数字を少しずつ加えていく(見おとしている時点で、アプリの設計は失敗しているわけだが)。ひと昔前のような古風なUIに触れるたび、このアルゴリズムとどこまでつきあえばいいものかわからなくなる。

AppleがリリースしたばかりのHomePodのレビューを読んでいる。HomePadはセンサーに入力する音で最適解をみずから計算しスピーカーの指向性や音場をどんどん変えていく。僕らがスピーカーの置き場所であれこれ悩むことはない。

一方、Revoxの古風なスピーカーはこの先も何十年と使える(たかのぞみせず、大切にすればだが……)、HomePodの寿命はコントロールするデバイスの寿命にもよるし、センサーなどの寿命にもよる。さまざまなファクターが絡まっていてよくわからないけれど、10年後にどう扱われているかは心もとない。

どちらにしてもこちらの好奇心が失せれば価値はなくなる。ソシュールに楯突くようだけれど、モノの記号は、好奇心に依っているとつくづく思う。歴史的好奇心によって、モノの価値は変わる。

RevoxもHomePodも、部屋の寸法やら構造を計算して、そこから最適解を得ようとしている。アルゴリズムというやつはどこまでいってもうさん臭い。結局のところ、聴こえてきた音を認めるための免罪符くらいのものだろうと僕は思っている。

音が鳴っている。そのことに派生するさまざまな感情がまずあって、それがわが身のうちに蠢いていればいいのだと、つまるところ、そう思う。

昼餉は、中華スープ、焼きそば。

ジョギング、9キロ。

走るのは2ヶ月ぶり。脚が上がらない。

妻の作った夕餉は、キャベツと大根のサラダ、ワカメスープ、挽肉カレー、赤ワイン。

Appleは、OS群のパブリックベータ・プログラムを更新してそれぞれβ1をリリースした。macOSは13.3、iOSは16.4へ。