99歳にしろ、50歳にしろ

 

 

 

 

 

 

晴れ。14度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、煮物(キャベツ・玉葱・人参・ちくわ・カニカマ・焼き海苔)の卵とじ、味噌汁(油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、バターを塗ったレーズンパン、アールグレイ。食後にコーヒー。

ジョギング、6.71キロメートル。

志村ふくみ『語りかける花』より――

 

 自分の好きな着物がよく似合い、たまに地味なものを着ると、少しはきれいにみえると思ったころは、とっくの昔に過ぎているのに、希望だけは決して捨てない。鏡は非情にも、そこまではつき合ってくれない。ホイットマンは、「老いた女性は、若い女性より美しい」とうたい、若い頃私は、ホイットマンのいう老いた美しい女性を夢想したものだが、フランソワ・ロジェや武原はんさんのようにごくかぎられた方にこそ、この言葉はふさわしく、大方の老いた女性には当てはまらないこともよくわかってきた。

 しかし、今やほとほとと扉をたたく訪問者をねんごろに迎え入れなくてはならない。おそらくこの訪問者は、私自身よりずっと深く私のことを記憶し、とりこぼした荷物や、忘れていた思い出を諄々と語ってくれるだろう。一日が二十四時間で十分なことも、もう奥さんなどいらないことも教えてくれるだろう。

 私はこの友と二人でお茶を飲み、羹をじっくりとおいしく煮込み、時の熟する音をこころよく聴き、時には共に旅に出ることもあるだろう。若い時の尖った神経がまるくなって、明け方の胸の痛みも消え、美しいものの近づいて来る時の音がきこえるようになるのも、この友と深い交わりを結ぶようになってからのことになるだろう。

 もし、第五の季節があるならば、めぐり会えるかも知れない。

 

志村ふくみさんは99歳。子育てをされていた頃は、あまりの忙しさに奥さんが欲しいと思っていたと。文中の奥さんなどいらないことというくだりは、それに触れたもの。ほとほと、という言葉の美しさ。

母の思い出を綴った「一条の煙」は切なくて引用できない。名文である。

昼餉は、鍋の残りで作ったラーメン、煎餅、コーヒー。

グレン・グールドの『フーガの技法』を聴いている。グールドの死の前年に録音されたピアノによるパートの最後、バッハの絶筆となった第14番は身が削られていく。美しい。

美しさは、おそろしさになる。その過渡のあわい。グールドの声が寄りそう。録音に際して歌い続け、僕らはその録音から彼の声を慈しむ。それを邪魔だという人がいることを、なかば絶望に似た気持ちのまま抱く。

夕餉は、マカロニサラダ、鶏ひき肉団子と白菜・大根・焼き豆腐の常夜鍋、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後に煎餅。