迷子に会ったら……

 

 

 

 

 

 

曇り、日差しあり。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(キャベツ・大根・チーズ・カニカマ・バジル、ドレッシングは上出来)、味噌汁(サツマイモ・人参・大根・豆腐)、バターを塗ったバゲット・トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

肩の筋肉が落ちてしまい、歩いていると腕の重みで肩が痛む。原因はほかにあるのかもしれないが、いずれにせよ長く速く歩いていると痛んでくる。

40代のギタリストが奥様と話している映像を見ている。生きるに際して、彼が培ってきたあれこれの考えかたを語っている。その姿を奥様が撮っている。今をどのように生きるか、という点で彼の考え方は生真面目とはちょっと違う。

前妻との幸せを追い求め、いい暮らしができるようにと仕事に没頭したすえに、彼は離婚を言い渡されている。将来の幸せを求めたのに、真逆の結果になった。暮らしは崩壊したが、そこから這い上がってきた。

再婚した女性と子どもの暮らし、今を生きることだけに没頭している。今しかないのだと、言い聞かせるように話す。来るかわからない未来の幸せのためにではなく、今この時の幸せを見定めている、と。仕事に没頭して家族をないがしろにはしない。どこまでも家族のことを最初に考える。彼の顔は刹那的ではない。安堵しているわけではない。自問しながら踏みしめていることが伝わってくる。

幸せを追い求めることは、弛緩ではなく緊張をもたらす。常に、これでいいだろうかという自省を求めてくる。彼の顔には、その表情が刻まれている。

妻と長い散歩へ。5キロを過ぎたころ、道の向こうから自転車を押して歩いてくる老婆に声をかけられる。墓参の帰り、2年ぶりの店へ行こうとして迷子になったと。道を教えてほしいと言われる。地図アプリを見たら、その店はずいぶん遠いところにあった。

妻といっしょに道案内かたがた店まで歩くことに。86歳になる老婆の話を聞きながら1時間ほどかけて歩いた。足腰が弱くなったと言いながら、彼女は杖がわりに自転車を押しながら歩き続けた。半世紀前に発症した糖尿病とは戦友のようなものだとか。

迷子になったのは、20年前に逝った亡夫が、もう少しそばに居てくれと墓石の下でお願いしていたせいかしらね、と老婆がつぶやいた。

遅い昼餉は、妻はきつね蕎麦、僕はたぬき蕎麦。

お互いさまだからさ、と言いながら老婆と歩いた時間が不思議に思えてならない。あれは、カタチを変えた何者かだったのかもしれない。

夕餉は、大根の煮物、ほうれん草のお浸し、切り干し大根煮、焼きシマホッケ、味噌汁(シメジ・ネギ・サツマイモ・大根・人参・豆腐)、玄米ご飯。食後にお茶、クッキー。

札幌の姉と叔母から電話。菓子の折り詰めへの礼。二人とも声は元気そう。札幌の雪は少ないと。年明けにまとまって降るとも。