根っこに不信のある煩わしさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。29度。

8時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、レタス・キャベツ・大根・大豆に・チーズ・カニカマ・バジルのサラダ、バタートースト、アールグレイ。

近所の医院へ。コロナのワクチン接種、6回目。ワクチンはモデルナのスパイクバックス(BA.4-5)。

Macのリマインダーが表示されなければ、ワクチン接種などすっかり忘れていた。どういうわけかMacとiPhoneのカレンダーが同期していない。ソフトスイッチがなにかの拍子に反転したくらいのことだろう。要するに、OSのインストレーションとかのタイミングで知らずに起きている。ソフトスイッチはどのメニューにあっただろう?(そういう想像さえ煩わしい……)。

買い取り業者からiPhone8の査定提示。入金手続きをする。

コンピューティングにまつわるあれやこれやは、歳とともに煩わしさがつのる。古書店で棚の背表紙を見上げているときには、そんなことはない。

本を注文して、それを家で受け取る。それさえ煩わしい。棚の背表紙にいつも漂っている高揚感が、液晶画面にはない。宅配便を待っていると、はてしなく暗い気持ちになる。そんな心持ちに気づく。

便利だと人は言うけれど、その便利と引き換えに、何を差し出しているのだろう。その差し引きを乗り越えても、まだ便利と言い切ることが煩わしい。

6回目の接種日くらい、手帳に鉛筆で書き込んでおけばいい。すべての予約、すべての手配、すべての確認が、コンピュータを介すと煩わしくなる。便利とはほど遠いところへ連れ去られる。その予約は、その手配は、その確認はちゃんと行われているのだろうか。

夕餉は、冷奴、人参のグラッセとレタスを添えた豚ひき肉のハンバーグ、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。