米寿にして

 

晴れのち曇り。28度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、サツマイモの甘煮、レタスとキュウリ、玉葱、トマト、ツナ、コーンのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、サツマイモ、豆腐、エノキ)、チーズトースト、紅茶、豆乳。食後にコーヒー。

 

谷川俊太郎『ひとり暮らし』より――

 

 ひとくさりチベット語でお経を唱えたあと、法王は般若心経を知っている人は日本語で唱えましょうと聴衆に呼びかけた。八千人近い人々が集まった東京ベイNKホールに、さざ波のように声がひろがった。それは人声というよりは自然の物音のようで、もちろんロックみたいに騒々しくないし、クラシック音楽のように秩序立ってもいない。聞いたこともない不思議な響きだった。法王は「おほん」と咳払いをひとつして話し始める。

 話しながらときどき頭や肩やのどを掻く、暑くなったのか肌ぬぎになったら、腕に虫さされとおぼしいものが点々とある。同時通訳が日本語に訳している間に、サイドテーブルに置かれたミネラルのラベルを読んだり、衣についているゴミをつまんだり、飴を口にほうりこんでにこっと笑ったりする。それがすべてこせこせしていないし、ちっともわざとらしくない。こういうのをよく「天衣無縫」などという言葉で形容するが、そういう言葉さえ邪魔な感じがする。私は法王の軽やかな身のこなしと、いたずらっ子のような表情を見ているのが楽しくて、それだけで満足してしまう。

 

谷川さんの視線は、ほかの八千人近い人と同じだったろう。誰かが特別な視線を持っているわけはないのだ。上の文章のように、八千人近い人は見て、感じた。そう思わせる何かが、この文章にはあって、それは詩人とは別の資質かもしれない、と思ったりする。でなければ、ダライ・ラマという人物がやはりなんともすごい存在なんだと思わずにいられない。

昼餉は抜き。

佐野洋子さんの対談より――

 

佐野 昔は、死って今よりもっと身近なもんだったわよね。

 私、北京にいたじゃない? 昔だから物乞いがいーっぱいいるわけよ。家族連れの物乞いが毎朝家の前に来たり、冬には門を出て行くと塀のところに死体がころがってるわけ。それがきのう転がってたのとは違う死体だったりするわけよ。だから朝起きていって、そこに死体がないのが変みたいな感じ。人はコロコロ、コロコロそのへんで死んでた。

 今の「命」とか「医療」って、もしかしたら間違いかもしれないと思うわけ。人は自然に死んでいくものであって、人の臓物を買ってまで生きるということは、それはもう私は命じゃないと思う。

西原 うん。そうですね。

佐野 片方で人の臓物を買って自分の子どもにやってるのに、片方では飢えて死んでる子がいるわけじゃない? そしたらそれを同じ命とは、私はいえないと思うのね。買ってるほうは「命じゃない」と思うし、飢えてる子に対しても、私は特別同情心は持たないね。

 そりゃかわいそうなのよ。みんな、かわいそうなときもあるのよ。自分も死ぬかもしれないのよ。だから飢えてる子に、過剰な”かわいそうさ”というものは持ってないね。

 飢えた子どもって、こんなにお腹がふくれてきちゃってるじゃん。それは自分のせいじゃないわけよね。そういうところにたまたま生まれあわせちゃっただけじゃない。それで死んでいく。そこで生まれたことを全部ひっくるめて受け入れるのが「命」だと思うのね。だから私は、臓物を取り替えたりするほうが不自然で、飢えて死ぬほうが自然だと思うね。命って、そういうものだと思う。

 だいたい生きることがそんなに価値あることか、と思う。人の臓物を取ってまで生きる、それほど生きることがたいしたことかって思う。生きてること自体はたいしたことないのよー。たいがいの人は、普通の人じゃない? 自分がレオナルド・ダ・ヴィンチだったりモーツァルトだったら、そりゃわかんないわよ。それだけどモーツァルトだってダ・ヴィンチだって、死ぬときは死ぬんだよね。そうじゃない人は、ぜんぜん忘れられて死んじゃって、それが自然なわけじゃない?

 だから私、「人の命は地球より重い」って言う人がいたら、「えーっ‼︎!」と思うよ。重いわけねーじゃんかって。

 

佐野さんの優しさは、詰まるところ、飢えて死ぬ子へ注がれている。お前の死が自然なのは、命にはこれっぽっちも重さなどないのだから、安心して逝け、と言い放っているところにある。複雑に見えて、彼女の死生観は単純で明快だ。それは図らずも健康的ですらある。佐野さんをもし病的だと指弾する社会があるとするなら、その社会の病巣は途方もなく深い。

10キロをジョグ。

甥っ子の嫁さんと子供が訪う。名古屋へ行った土産をいただく。黄色い新幹線に乗ってきたとか。子は、父親譲りの乗り物好きになった。黄色い新幹線はドクターイエローと呼ばれる保守点検をする専用車両だが、こいつを見ると幸せになるという都市伝説があるらしい。

夕餉は、味噌汁(人参、玉葱、ピーマン、豆腐、サツマイモ、小松菜)、ポークカレー。食後に麦茶、クッキー。

 

ジョアン・ジルベルトが逝った。

 

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隠れん坊

 

曇りときどき日差し。27度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、レタスとトマト、キュウリ、玉葱、ツナのサラダ、味噌汁(人参、豆腐、玉葱、キュウリ、エノキ)、ピザトースト、紅茶、豆乳。

町内の草刈り。女房が生垣の周囲に鋏を入れる。

昨夜の散歩のとき。野良猫がなにかとじゃれあっているのを女房が玄関口で見つけ、そのすぐあと、キャッと小さく叫んだ。猫は僕らに気づくと、路地に逃げ込んで見えなくなった。

猫の相手は、コウモリだった。どうやって捕えたのだろう。コウモリは、地べたで力なく羽をばたつかせていた。漆黒の穴が蠢いているようだ。

今朝その場所に、コウモリの姿はなかった。

昼餉は、抜き。

将棋や囲碁のトーナメントを。趙治勲名誉名人が藤沢里菜女流本因坊に負ける。解説の張栩名人が、ときに対局者なみの深い読みを垣間見せる。

グルーミングセットが消えた。何かが消えたとき、以前ならそれはネズミが犯人というのが相場だった。女房が、下手人は死んだ母だという。悪戯をしているんだわ。半ば真面目に、そんなことを言う。女房の足の爪、僕の髭が伸び放題へと向かっている。

夕餉は、サツマイモの甘煮、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、エノキ)、女房が作ったオムライス。食後に麦茶と羊羹、チョコレート。

 

コウモリを くわえて猫の 荒き息

 

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ジェローム・デイヴィッド

 

曇り、ぱらつく。26度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキュウリ、トマト、パプリカ、竹輪のサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、豆腐、サツマイモ)、トースト、メロン、紅茶、豆乳。食後にコーヒー、人形饅頭。

ボブ・マーリーとThe Wailersを聴いている。

レゲエが心地よく聞こえるまでに、僕はずいぶん時間を要した。なぜ肌に合わなかったのか、今となっては霧の中。夏に聴かねば、もう体を壊す。

とかく我が身は、わからぬことばかり。

昼餉は、抜き。

10キロをジョグ。

庭仕事。雑草と一戦。

古書店でサリンジャーを手にとって、書斎の本棚を思い浮かべた。そこに並んでいる背表紙が見える。なのに買った。

夏といえば、ライ麦畑――その連想ゲームに負けた。それに、文庫本よりハードカバーはだんぜん安い。場所を取る、持ち歩くことに向かないから、世間は求めていない。おかげで、本来の装幀を愉しめる。

村上春樹のサリンジャー。ひょっとしたら、二冊目かもしれない。でもいいのだ。

翻訳は定期的な改訂を経なければならない――村上さんはそんなことをどこかに書いていた。ほんと、そう思う。その時代の空気とか気分で、とくに名作は読みたい。新訳は、ときどきの偉大な事業だ。

夕餉は、女房が作った野菜と豚バラの中華炒め、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、エノキ)、親子丼。食後にコーヒー、クッキー。

 

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でも発禁ではない

 

曇り。26度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、キュウリ、パプリカ、トマトのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、玉葱、サツマイモ、小松菜、豆腐、エノキ)、トースト、紅茶、豆乳。

就寝前に鼻炎の薬を飲んで、起きられず。睡眠導入の成分が入っているらしい。

女房とクルマで長浜のユニクロへ。レビューを書くことと引き換えにジーンズを提供するというメッセージが来た。応募して失念していた。

よって、受け取りに。ベーシックなカイハラの13.5オンスのデニムを使ったレギュラーフィットはテーパードの股下がきれいだ、ありがたく履くことに。

昼餉は、マクドナルドで。フレンチフライとアイスコーヒー。女房はハンバーグをプラス。

本を求める。オクタビオ・パス著、田村徳章・松山彦蔵・後藤丞希『太陽の石(原題:Piedra de Sol)』(文化科学高等研究院出版局)、ブルース・E・カプラン著、鈴木彩織訳『転がる猫に苔は生えない(原題:The Cat that Changed My Life ; 50 cats Talk Candidly About How They Because Who They Are)』(ソニー・マガジンズ)、J・D・サリンジャー著、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ(原題:The Catcher in the Rye)』(白水社)、フォレスト・カーター著、和田穹男訳『リトル・トリー(原題:The Education of Little Tree)』(めるくまーる)。

オクタビオ・パスは岩波版の『弓と竪琴』以来。『太陽の石』は詩集。ふらっと立ち寄った古本屋の棚に見つけて小躍りする。

『リトル・トリー』は曰く付きといわれている。人種差別主義者が出自を隠して書いたことが後から暴露されている(が、真偽はいまだ霧の中だ)。帯の推薦文に倉本聰が寄せている。曰く「久方ぶりの感動だった(中略)出版社に電話して二十部注文した。愛する人々に配りたかったからだ。」

 

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パンの耳の耳

 

雨のち晴れ。27度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、玉ねぎ、パプリカのサラダ、ハムと目玉焼き、トースト、紅茶、ミルク。

女房が戻る。向こうのほうが涼しかったと。こちらで暮らしていると、関東はよほど北に思える。それにしても暑いな、関西。

知人から女房がいただいた高円寺のパン屋の食パンがかわいくて、香ばしくてうまい。店の名はパンの断面から想像できる。

昼餉は、抜き。

7キロをジョグ。汗だく。

テキストエディタ『stone』がアップデートされたが、カーソルが消える現象は残っている。それとタイプライター・モードはまだ先になりそうだ。これほど意匠の整ったエディター(と言えるかどうかは別にして)はないが、目立つバグがこれほど取れないアプリも珍しい。AppStoreのユーザー評価が、いつの間にか2.6に下がってしまった。

『stone』と同時に『Bear』も使うことに。こちらはMarkup記法も採用しているし、プログラミング環境が視野に入っている、コンピューティングでいうところのエディターだ。タイプライター・モードが加われば言うことなしだが。

夕餉は、ジャガイモ、サツマイモ、玉葱、人参、竹輪のかき揚げ、アジフライ、ざる蕎麦、赤ワイン。

アレルギーに似た症状が鼻腔にで久しい。くしゃみと鼻水が止まらない。

 

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2枚の出直し

 

曇りのち雨。夜に豪雨。25度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツとレタス、キュウリ、パプリカ、トマト、ツナのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、エノキ)、トースト、豆乳、紅茶。

6キロをジョグ。

昼餉は、抜き。

エリック・クラプトンを聴いている。’77年の『Slowhand』とか’74年の『461 Ocean Boulvard』。

R&Rのというより、一人の男の再起に寄与したさまざまな音を聴ける。そうしたアルバムは稀有だと思うのだ。クラプトンは、飾らなさを飾ってみせられる。語弊があるが、ギタリストはそんな感じじゃないとつまらない。

彼がギターを弾いている。世の男たちは、息するのも忘れて見入る。タイトなのに緩い。ブルージーで真摯。エッヂと大地の香り。明日を拒絶するのに、葛折りの道がどこまでも続いている。

世の男たちは、純度の高い求道が音楽と合体している瞬間に立ち会う。そして、少しだけ前へ進むことの是非を問うのだ。

この2枚のアルバムを前にすると、甲乙つけがたいグラフィックに参る。

選べ、と言われる。その誰かに。

おそるおそる、手を伸ばして掴み取る。中身のビニールまで選んだと思われかねない。どちらかを選ぶなんてできない。グラフィックも、ビニールも。

選べないことが、この世には存在する。ビニールを選ぶということは、刻まれた音楽を選ぶということだ。グラフィックは、その場合、どうなんだろう。

夕餉は、長浜の叔母が作った山椒の効いたチリメンジャコの丼、ざる蕎麦。

未明に雨脚が強まる。

 

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透明度の高い湖底

 

雨のち曇り。27度。

6時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツ、パプリカ、トマト、ツナのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、エノキ、豆腐、小松菜)、ハムと目玉焼き、トースト、豆乳、アイスコーヒー。食後にコーヒー。

エンリコ・ピエラヌンツィ(ピアノ)、マーク・ジョンソン(ベース)、ジョーイ・バロン(ドラムス)のトリオによるアルバム『Play Morricone』を聴いている。エンニオ・モリコーネの曲をまとめて演るとしたら、ピエラヌンツィをおいてほかにはいない。『New Cinema Paradise 』でピアノを弾いていたのは彼なのだから。

濁りのないタッチはヨーロッパのピアニストらしい。ECMの音っぽい。端正で、音の粒が明瞭だ。だが、そのことがオブジェクションになる。

清らかな水に棲むジャズという魚はいない、と感じる人は決して少なくない。

昼餉は、抜き。

10キロをジョグ。

女学生だった頃に女房が使っていたパイオニアのステレオシステムのスピーカー2台を粗大ゴミの回収に出す。1個が15キロあるスピーカー。最大音圧は92dBもあって、今どきのスピーカーではあり得ない数値だが、当時はみんなそんなものだった。パイオニアのオーディオは高級路線のTAD(Technical Audio Devices)が別会社で存続している。ひと昔前のコンシューマ・オーディオといえば日本だったものだが、今は見る影もない。海外のメーカーは百花繚乱だが、長寿となると数えるほどだ。

夕餉は、ポークカレーの残り、豆乳、コーヒー。

 

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Yardbirdの抗い

 

雨のち曇り。27度。

6時に起きる。

朝餉は、レタスとキュウリ、トマト、ツナのサラダ、ハムと目玉焼き、トースト、豆乳、アイスコーヒー。食後にコーヒー。

チャーリー・パーカーの『With Strings Delux Edtion』を聴いている。Verveの2枚とその別テイクに、Complite Master Takeのライブ盤を収めた、その名にふさわしいアルバムだ。もっとも2時間半、43曲を聴かずとも(もちろん聴くべきだが)、最初の『Just Friends』がこのアルバムの素晴らしさを語り尽くしている。

数多のWith Stringsにあってチャーリー・パーカーが別格なのは、これらの録音が70年も前に行われており、そのソロの疾風のモダンな旋律がまったく降って湧いたかのように彼のマウスピースと指から紡がれているところにある。

昼餉は、抜き。

13キロをジョグ。

本を求める。佐野洋子著『対談集 人生のきほん 西原理恵子&リリー・フランキー』(講談社)。

夕餉は、ポークカレーの残り、豆乳、コーヒー。

クスリ漬けのアルトサックス奏者は、その旋律のように彼の人生を駆け抜けた。あのような演奏をしていると、命は常人の何倍もの速さで枯れていくのかもしれない。彼は、枯れないようにクスリに頼っていたともいえる。

才能が、生を喰い尽くすときの恐ろしさ。ソロをとっているときは忘れることができたのだとしたら、それは破滅的循環だと思う。

彼のアルバムを聴いたあとは、そんなことが余韻に混じっている。

 

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うたかたの羽

 

雨。26度。

6時に起きる。

朝餉は、レタスとキュウリ、トマトのサラダ、ハムと目玉焼き、トースト、豆乳、アイスコーヒー。

エアコンの電源を。今年はじめてのドライ運転、終日。

岳父の庭に居ついているハグロトンボが、雨脚の早くなった葉陰で羽をゆらゆらさせている。幽玄なその動きがしきりと惹起させるなにかを追っているうち、瞼が重くなる。

あの世で見たなにか。でも、思い出せない。

昼餉は、ピーナッツ、アイスコーヒー。

長浜の伯母が訪う。ジャガイモ、キュウリ、玉葱などいただく。

夕餉は、頂戴した野菜でポークカレー。

今月のまとめをば。アクティビティは14日、総距離は134キロ。スクワット、プッシュアップ、腹筋はそれぞれ3セットをほぼ毎日。

鹿児島で豪雨。

 

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しないほうが、いい

 

雨、降ったり止んだり。27度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツ、キュウリ、トマトのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(人参、小松菜、豆腐、エノキ)、トースト、ミルク、紅茶。

昼餉は、抜き。

10キロをジョグ。

ジョナサン・アイブがAppleを辞めた。それがニュースになると株価が下がって、Appleは90億ドルを失った。それがさらにニュースになっている。ジョブズ亡き後のAppleを支えていたのは彼だと、誰もが思っていた。これは、それを物語るエピソードだが、ここ数年、彼は表に顔を出していなかった。そのことが意味するのは、ここ数年の同社のリリースした商品を見ればわかる。

G20で印象深い写真は、英国メイ首相とロシア・プーチン大統領の握手だ。英国の糾弾は、ロシアの本質的な体制に集中している。かの国が民主主義国家を相手に好き放題やっていることをこの国のメディアは伝えない。

握手が、握手になっていない歴史的な写真だと思う。

メディアは、米中の貿易戦争という伝え方をしているが、本質はそれでいいのだろうか。一党独裁の非民主主義国がなにをしているのか、僕らはなにも知らない。もっとも、それは米国の諜報機関についても同じかもしれない。

夕餉は、ポークジンジャーステーキ、野菜と竹輪のアーリオオーリオ・ペペロンチーノ、コーヒー。

 

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取り戻すには

 

雨のち曇り。27度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツ、キュウリ、トマトのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、エノキ)、目玉焼き、豆乳、紅茶。食後にコーヒー。

梅雨がはじまって、躰が変調している。

昼餉は、食パン、ミルク、豆乳。

9キロをジョグ。

音楽も写真も、もしかしたら本も――デジタルがだめにしたものはかけがえのないものばかりだ。失ったのは、高い解像度と呼ばれるものだ。解像度といえばデジタルというのが常識だったのは、今は昔だ。

可聴とか可視の世界だけが世界ではないのだと、誰もが気づいてからこちら、デジタルは貧相の代名詞になってしまった。

僕らの世界は聴こえなかったり、視えていなかったりすることで出来上がっている。

デジタルでは、そうした世界がすべて切り落とされている。

世の中がおかしなことになったのは、ひょっとしたら、デジタルが切り落としてしまった世界を失ってからかもしれない。僕らの調和は、聴こえていなかったり、視えていなかったりした物事に依っていた。

それが、実は世界の大半を占めている。

今は、世界の大半を失っている。僕らは、精神のバランスを失って久しい。

夕餉は、豚バラ肉の野菜中華炒め、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐、エノキ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

 

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その未来は、やって来ない

 

曇りのち雨。26度。梅雨入り。

7時に起きる。

朝餉は、味噌汁(人参、玉葱、小松菜、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ、豆乳、紅茶。食後にコーヒー、レーズンバターサンド。

例年より2週間以上も遅い、雨の季節。

3キロをジョグ。途中から雨。

昼餉は、花林糖、さつま揚げ。

台風になりそうな低気圧をついて、女房は東京へ。クワイアの仕事、自宅の水回りの検査立会い。帰宅は来週の金曜あたり。

英ドラマ『Black Mirror』のシーズン3をぼちぼち観ている。SFタッチのアンソロジーだ。一話完結のどの物語も、ほんのちょっとしたアイデアが起点になっている。

例えば最初の話『NOSEDIVE(邦題:ランク社会)』では、個人が相互に評価される社会を風刺している。いいね!の数を競う、その未来の社会。言動を星の数で相互評価する社会の息苦しさをコミカルに描いている。

どんどん本音が言えなくなり、毒づくことさえできない。1時間弱では、そんな社会の一面を描くのがせいぜいだ。どの物語も、その象徴的な一面の切り口を愉しむことになる。だが、一面とか象徴は、つまるところ陳腐の扉へと続いている。

夕餉は、カレーライス。

 

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観察者の目

 

晴れのち雨。30度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、コーン、キュウリ、トマトのサラダ、味噌汁(人参、玉ねぎ、カボチャ、豆腐、小松菜)、さつま揚げと目玉焼き、トースト、紅茶、ミルク。食後にコーヒー、クッキー。

昼餉は、マドレーヌ、ミルクをかけたシリアル、コーヒー。

本が届く。江國香織、岩瀬成子、角田光代、町田康、谷川俊太郎ほか著『100万分の1回のねこ』(講談社)。100万回生きた猫、その1回分の生き様を作家が描く。書くにあったての縛りになっているお題というか企画を考えたであろう編集者はなかなかの剛腕である。作家をそこへぴょこんと飛び乗らせた佐野洋子という存在をあらためて思う。

佐野さんと離婚されてからの谷川さんのエッセーやほかの文章を読んでいると、背筋にすーっとなにかが過ぎていく。寂寞というにはあまりに仄かで、振り返って確かめたいのだが、そうしてしまっては逃げてしまいそうなひと刷毛ぶんの重量。

ああ、これはいかんぞ、と思う。

詩人は、言葉を失っている。それは、死んだ女への。

洋子さんは、あんたはつまらない男ね、というようなことを谷川さんに遺した。

つまらない、男。

男にとって、この言葉はいかなるものだろう。つまらない詩人ね、とは言わなかった。

谷川俊太郎という詩人は、ひとりで生きることの意味を一冊にまとめているが、それは飄々として、浮世離れしても見える。実務家としての谷川俊太郎がちょこちょこ顔を出すと、読み手はなんだか安心してしまい、この人の本来はそうなんだろうな、と想像する。

詩人は、生き方まで詩人である必要はないのだ。

洋子さんは、生き方についてなにかを言いたかったわけではなかろうと思う。ただ、実務家という肌合いが、合わなかったのではあるまいか。

女は、つねに実務家としての男を観察している。どのような実務家なのか。それが、男女の幸不幸につながっている。

夕餉は、納豆、女房が作った豚ひき肉と茄子の中華炒め、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、豆腐、エノキ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、バターサンド。

 

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祓ってしまい、誰もいない

 

晴れ。28度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、トマト、ツナのサラダ、味噌汁(人参、キャベツ、玉ねぎ、カボチャ、豆腐)、フレンチトースト、紅茶、コーヒー、クッキー。

女房とクルマで多賀へ。多賀大社で夏越の祓え、茅の輪を三べん潜って神殿に参拝。

昼餉は、境内横の蕎麦屋で盛り一枚。女房は豆ご飯、かけ蕎麦。

昼下がりの多賀の通りに人影はない。火曜ということもあろうか。参拝客さえ途絶えた道を二人で歩きつつ、打ち捨てられた家に目を走らせる。

ガランとした店の奥に主人がいて、暑いですな、と言ってくる。

祓えの当日である月末や、毎週末の客足を知らないと先行き真っ暗と早合点しがちだが、それがほんとに早合点かといえばそうではないのだと思う。

彦根のマクドナルドで、フレンチフライ、アイスコーヒー。

女房の背中は鉄板でも入っているかのよう。背筋が凝り固まってしまい、マッサージをしても生半なことではほぐれない。子宮の筋腫が腰から背中全体に影響していると素人なりに見立てても、僕にできることはマッサージしかない。そんなことを、あれこれ話す。

帰ってから、水無月を一切れ。

夕餉は、焼き茄子、味噌汁(人参、玉ねぎ、カボチャ、小松菜、豆腐)、焼きそば、赤ワイン。食後にコーヒー。

Appleは先頃のWWDCでお披露目したOS群のパブリックベータ ・プログラムをリリースした。iOS13はインストールできたものの、macOS Catalinaはインストーラーが起動しない。Mojaveでも同じことがあったような…。

本が届く。谷川俊太郎著『はだか 谷川俊太郎詩集』(筑摩書房)。平仮名で書かれた詩集の絵は佐野洋子。

 

ひみつ

 

だれかがなにかをかくしている

だれかはわからないけど

なにかもわからないけど

それがわかればきっとなにもかもわかる

ぼくはいきをとめてみみをすました

あめがじめんにあたってぴちぴちいっている

あめはきっとなにかをかくしている

それをしらせようとしてふってくるのに

ぼくにはあめのあんごうがとけない

あしおとをたてないように

そうっとあるいてだいどころをのぞくと

おかあさんのうしろすがたがみえた

おかあさんもなにかをかくしている

でもしらんかおしてだいこんをおろしている

こんなにひみつをしりたがっているのに

だれもぼくになんにもおしえてくれない

ぼくのこころにはあながあいていて

のぞいてもくもったよぞらしかみえない

 

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2年ぶり

 

晴れときどき曇り。25度。

6時に起きる。

朝餉は、フレンチレストランでいただいたパン、ミルク。

お握りを結び、卵焼きなどリュックに詰めて、クルマで高島市マキノ町へ。

マキノ高原キャンプ場から寒風峠を縦走して赤坂山へ登る。花の百名山に名を連ねる赤坂山へ至る稜線では左に日本海を、右に琵琶湖を望む。例年だと満開を迎えているだろうコアジサイが三分咲きといったところ。日本海から吹く風は涼しいというより肌寒く、それまでにかいた大汗を納めて余りある。

ブナの原生林にはたくさんの野鳥が啼いている。分けてもウグイスとキビタキが見事だった。

8時半に麓を出発して、赤坂山に着いたのが昼過ぎ。急登で体力がなくなった。

山頂の巨石の陰でとった昼餉は、薩摩揚げ、卵焼き、お握り、カップ麺、コーヒー、クッキー。

2時過ぎに下山をはじめて4時過ぎに着く。麓の温泉で体を休め、メタセコイヤの並木道を往復し、湖岸を時計回りに走って帰った。

夕餉は、納豆、高野豆腐のあんかけ、味噌汁(人参、キャベツ、玉ねぎ、豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒーとクッキー。

巻き爪で苦しむ女房は下山に時間を取るようになった。少しずつ降りては、追いつくのを待つ。通常なら5~6時間のコースを僕らは8時間近くかけた。

 

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