説明と省略のはざまで

 

 

 

曇り、のち晴れ。28度。
7時に起きる。
朝餉は、ヨーグルトをかけたメロン、サラダ(レタス・リーフレタス・キャベツ・キュウリ・トマト・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(スナップエンドウ・玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐)、卵とハムのトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
暑くなってきた。夜半すぎの夜風はまだ心地いい。梅雨入りが遅れている。都心で真夏日を記録するのは記録的な遅さという。
梅雨がなくなってしまうよ、きっと。妻がそんなことを言う。
昼餉は、菓子パン、コーヒー。
電話で話していると、それほど複雑でない状況をうまく説明できない。相手が戸惑っている。良かれと思って並べた言葉が、さらに混乱を招いている。途中でいったん区切ってあやまる。説明になってませんね、ごめんなさい。見ればわかることなんですよ、ほんと。電話の向こうで笑い声がする。話しが終わったあと、説明の仕方をあれこれ考えてみる。
やっと気づく。説明はしないほうがいいのだと。見ればわかることならなおのことだ。文学ではそうはいかないとばかりに、比喩やメタファを織り交ぜて巧みに映像化する作家がいる。一方で、端折ってしまう作家もいる。匂いや音で大雑把に感受させる作家もいる。
二艘のボートに三人を乗せ、二人の漕ぎ手が岸からボートを押し出す。紛らわしいシーンだが、ヘミングウェイは『Indian Camp』の冒頭でちょっと想像力を喚起する文章を使う。その引用——

 

 湖の岸にもう一隻ボートが寄せてあった。二人のインディアンは立って待っていた。
 ニックと父親はボートの船尾に乗り込み、インディアンたちがボートを押し出し、一人が漕ぐために乗り込んだ。ジョージ叔父さんはキャンプのボートの船尾に座った。若い方のインディアンがキャンプのボートを押し出し、ジョージ叔父さんを漕いで運ぶために乗り込んだ。

 

At the lake shore there was another rowboat drawn up.The two Indians stood waiting.
Nick and his father got in the stern of the boat and the Indians shoved it off and one of them got in to row.Uncle George sat in the stern of the camp rowboat. The young Indian shoved the camp boat off and got in to row Uncle George.

 

柴田元幸さんの翻訳は原文に忠実で見事だ。ヘミングウェイの原文は端的だ。リズムがいい。これ以上ないくらいに削られていることがわかる。この文章がすぐに飛び込んで来ないのは、2艘の手漕ぎボートの出自がどうやら違うということがぼんやりしているからだ。ヘミングウェイは省略したにもかかわらず、another  rowboatと一方の手漕ぎボートを冒頭でcamp rowboatと区別している。その厳密さは、掌編の終わりでそれとなくわかる。それが余韻となって尾をひくのだが、そこまで気配りされている省略にちょっと鳥肌が立つ。短い物語の山場に向けて、不穏な省略が意味を持ち続けることを読者は後になってわかる。省略は不明をもたらす。その不明も省略を助けることがあるのだ。
夕餉は、冷奴、ポテトサラダ、大葉の鶏ひき肉ハンバーグ、味噌汁(スナップエンドウ・油揚げ・豆腐・シメジ・玉葱・人参)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒーゼリー。