発想がすでに時代遅れ

 

 

 

 

雨、のち曇り。23度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたキウィ・バナナ、サラダ(レタス・リーフレタス・トマト・大豆煮・チーズ・カニカマ・バジル)、味噌汁(オクラ・油揚げ・豆腐・玉葱・エノキ・シメジ・人参)、卵トーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
ベルリン著『すべての月、すべての年』より——

 孤独、というのはアングロサクソン的な観念だ。メキシコシティでは、ほかに乗客のいないバスに独りで乗っていて、そこにもう一人誰かが乗ってきたら、その人は隣に来て座るだけでなく、こちらにぴったり寄り添ってくる。

現実にそんなことはあるまい。でも、小説としてはじゅうぶんに写実的だ。
昼餉は、ミルクをかけたオールブランシリアル、コーヒー。
ルシア・ベルリンは、欧米的な価値観を信じていない。それがヒトを豊かにしないことを肌身でわかっている。そもそも「価値観」という言葉を蔑んでいるように見える。自由とか、希望とか、絶望とか。どれも気に食わないに違いない。日本人はもともと、そういう言葉を知らずに生きてきた。言葉にならないことを、背負って暮らすのがあたりまえだったのだ。こざかしい、と昔の人はよく言ったものだ。
夕餉は、冷奴、ポテトサラダを添えた大葉包み鶏肉ハンバーグ、味噌汁(小松菜・シメジ・エノキ・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。
AppleのWWDCを夜半2時から4時近くまで観る。生成AIをOS群に埋め込んで、アプリからアクセス可能にした。Siriも換骨奪胎してもっと自然な会話ができるらしい。間違いは訂正してくれるという。AI自体は容易に想像できるレベルの機能ばかりだった。付け加えるなら、それ以外の細かい機能やアプリが提供する機能が煩わしい。便利なのかもしれない、しかしそれがなんだというのだろう。選択肢が増えて、それに割く時間が増えていく。表面上はシンプルに見せることが求められているのに、Appleは逆行している。デジタル機器に触れている時間を増やそうとしている。今でさえ多すぎるのに。ぼくらはその逆を望んでいる。デバイスに振り回されるのはごめんだ。Appleが真っ先に宣言すべきだろう。
「わたしたちは時間を取り戻すべきときにきている。これからはiPhoneに触れない時間を増やすためにAIを提供します」と。
時代遅れの彼らを見ているのはつらい。開発者バージョンのインストールを躊躇するのははじめてかもしれない。株価は下落した。もはや恒例となった。macOSの新しい呼称はSequoia。これからは樹木シリーズなのか? 自然回帰のイメージを多用したプレゼンテーションとは裏腹の状況が続く。彼らのオフィスが嘘っぽい。