原器は、唯一つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。34度。

7時に起きる。

朝餉は、納豆、小松菜のお浸しと卵焼き、キ

ャベツ・茄子・小松菜・合挽肉・ハムのオイスターソース炒め、味噌汁(エノキ・玉葱・人参・油揚げ)、玄米ご飯、麦茶。食後にコーヒー。

ごくたまにスピーカーケーブルを替えてみようかという、気まぐれが目を覚す。Revoxは小さな巨人らしく端正な音を奏で続けているのに、絞った音量でもすみずみまで輪郭を描いてほしいという魔がさすのだ。

ブログによれば、2019年11月にWestern Electricの24GAをBeldenの8460に戻してから、気まぐれはずっと眠り続けていた。スピーカーケーブルはとりわけ原器から目を逸すべからずと思っている。Revoxに限らず、スピーカーにおける原器とはBelden 8460だと信じている。もちろん金に飽かせば描写力は何倍にも跳ね上がるかもしれない。でもすべての欲求の奥に息づくのは、足ることを知ることなのだ。原器は、足ることの基本を支えるよすがである。

昼餉は、菓子パン、アイスコーヒー。

ジョギング、6.55キロメートル。木陰がちょっとは涼しい公園の周回路をぐるぐると。子連れのお父さんがたくさん。三連休なのだった。

原器の原器たるゆえんは、万人が認めるという暗黙の了解にある。

Belden 8460を原器たらしめているのは、製造における技術的裏付けと、作り続けられている時間的な陶冶、そして値段という平等性だろう。安くとも、スピーカーの性質を余すところなく教えてくれる。安いからこそ、誰もが導入でる。まさに原器である。

さて、このたびの気まぐれはLinnのK20なのだ。2200円/メートルと、原器の定義からはるかに外れている。LinnにはK200というさらに目が飛び出そうな値段のケーブルが存在するが、これは論外であるとして、K20は、ちょっと無理すればと思わせるのだ。

まったくもって愚鈍の話しではある。原器が二つも三つもあってたまるかと思う。

この気まぐれは、覚醒することなくまた深い眠りにつく。今、子守唄を唄っている最中だ。

夕餉は、卯ノ花煮、冷奴、焼き餃子、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・エノキ・キャベツ・油揚げ)、玄米ご飯、麦茶、ウィスキー・オンザロック。

LinnがDSMのファームウェアをアップデートして、Davaar 103のBuild 510(4.103.510) をリリース。